《 ペストから生活を守る方策が「身の回りは自分できれいにする」習慣として定着しているとのこと。コック服の作りの一つ取り上げても、その一つひとつに、自分の身の安全を確保するための配慮が形となって現れているものなのだそうです。生活の中で価値や意義や意味のあるものが、暮らしの中で定着し、習慣や躾となって伝えられていきます。しかし、目的意識を持って一つひとつの意味を考えたり、自分で目的や意味を考えながら料理に取り組んだりする人がいなくなったように思う、とも仰っていました。 》
アイロン台が古くなって、そろそろ40年選手になるので、中のフェルトと上の綿のカヴァーを取り替えないといけなくなりました。
龍圡軒では、と言うよりも、私が見習いに入った、Le Cameliaル・カメリアでも他の店でも、コック服は、各自、自分で洗濯するなり、洗濯屋さんに出すなりしていました。そうすれば、洗濯が大変なのできれいに仕事をしろと言わなくとも、きれいに仕事をするようになります。そして、個人経営の店、カメリア、Aubelgardeオーベルガールドゥ(見習い終了後に入った、料理協会会長の店。現在の私の店に写真が掛かっています。Ogierオジエ氏は、若い頃19~24歳まで、Hotel Ritzでエスコフィエ《フランス料理を整理、統制し、現在のフランス料理の基本を作った人。フランス料理の国家試験はここから出される》と仕事をされた方)、そして地中海のレ・サントンのジェラールドゥ氏の3店では、テーブルクロス、ナプキン、前掛け、調理場で使うタオルなどは全部店で洗濯し、アイロンをかけていました。
昔、フランスではペストにより多数の死者が出たことがあったので、ボイラーの付いた洗濯機があるのが当たり前で、下着、パンツまでアイロンを当てていました。私の店も、家内が全部洗濯しております。
ところで皆さん、なぜテーブルクロスを掛けるのか、ご存じでしょうか? テーブルの汚れを隠すため・・・。ほとんどの方の答えだと思いますが、ブゥブゥーです。実は、食器などでテーブルを傷つけないように、テーブルを守るためなのです。
ヨーロッパでは家具を大切にする習慣があって、当たり前のように100年、200年前の家具を使っています。イギリスなどでは、南向きのアパートは北向きのアパートよりも家賃が安いのですが、これは陽射しで家具が傷むからです。私の店にも龍圡軒と同じ120年前のフランスのサイドボードが活躍しております。
現在、本来の目的が何か、何であったか、分からないまま、見た目をまねて作って、使っているのが目に付きます。今、私が着ているコック服は、軍服から進化したもので、一つひとつの作りには、ちゃんとした理由があります。
昔のコック服のボタンは包みボタンで、ボタンを切ると包帯として使えるようになっていました。前がダブルになっているのは、ナポレオンがモスクワに侵攻したとき、兵士の軍服が学生服のようにシングルだったので、モスクワの冬の寒い風が入って来やすかったため、兵士が寒さに凍えて負けてしまった。そこで、その後作られたダブルのコートは風に逆らって、風向きとは反対に閉じられるようになったというのが、由縁です。
横道に逸れますが、スーツやジャケットの袖口の飾りボタンは、ナポレオンが、寒さで出た鼻水を袖で拭かぬように取り付けさせたものだそうです。
コック服では、心臓を刃物から守るために二重になっていること。汚れたときに下のきれいな面と取り替えられること。そして一番大事なことは、熱湯をかぶったときに素早く脱ぐことができることです。また、袖が長く、袖口が割れているのは、鍋つかみとして使えるようになっているからです。
前掛けは、汚れと熱の対策、そして両端を持って中に人参や玉ネギなどの品物を入れて運びます。コック帽は、汗止めと衛生。特に、昔は石炭ストーブだったので、煤からの汚れを防ぐとともに、フランス人だからオシャレです。昔の絵画や写真を見ると、ベレー帽のようにかぶり、またフランス語では、Toque Blancheトック・ブランジュと言い、縁なしの白い帽子は、ギルドがあった時代の調理人の特権だったそうです。
今はあまり使いませんが、ネッカチーフは、汗止めとオシャレです。
ホテル・リッツのとき、私とは違う班のチーフが私をよくかわいがってくれました。その人は、スカーフを横むすびに長く結び、とても格好良い方でした。