《私が弘前で中隊長をしていた昭和63年頃、日本中、リゾート開発の話があふれていて、津軽も開発ブームで盛り上がっていました。白神山地は、まだ世界遺産(自然遺産)にはなっていなかったものの、暗門の滝やブナの原生林がある隠れた人気スポット。その白神山地の北の入り口に当たる西目屋村の村長の話を思い出しました。担当隊区だったので、よくお目にかかり、お話しを伺いましたが、大変、見識の高い方でした。

「リゾートは、そこにある自然を楽しむ、楽しみたい自然があるから出かけるのであって、自然を壊して都会と同じテニスコートやプールや遊び場所を作らないと人が来ないって、そんなのはリゾートじゃない。発想がおかしい。リゾート開発ブームで、皆、賛成しているが、折角の白神山地がダメになる。誰がこんなところにまでテニスをしに来るものか。俺は絶対反対だ」。「環境保護派は、環境保護派で、白神山地に入るのを規制しようとするが、西目屋村の者は、その中で生活して、暮らしているんだぞ。山に入らないと生活できなくなってしまうのが、分かっていないんだ」と憤慨していらっしゃいました。

ゆったりと、ただただ自然を楽しむ。心豊かで、貴重な時間の過ごし方だと思います。》

山崎君お話しが出たところで、もう一つ。

彼が呑みに行っていたお店で西麻布の交差点に324というバーがありました。これも34年ほど前の話にさかのぼりますが、この店のオーナーが、32歳のときに、4坪の店から始めたので324と名付けたそうです。私も一度行きました。

そこに青木君というバーテンダーがおり、山崎君と大変仲が良く、二人で将来の話をしているうちに私の店に入ることになりました。

私の店に入りたいという人には、面接のときに、飲食店の話をします。と云うよりは、料理人の生き方で二通りの道しかないことを話します。それは自分で経営するか、人に使われるかです。どちらでも良いのですが、私のところでは、前者しか入れません。この話は長くなるのでまた別の機会に話します。

青木君は根性のある人物で、通勤帰りの地下鉄で、酒に酔ったサラリーマンが外国人の女性に絡んでいるのを見かねて、車両が駅に停車した瞬間に「お前は日本人の恥だ」と怒鳴り、そのサラリーマンを叩きだしたのです。女性からは感謝されましたが、その車両にいるのが気恥ずかしくて、次の駅で降りて、歩いて帰ったのです。

翌日、私たちに「もっと堂々としていれば良かったんですけれども、恥ずかしくて。シェフならどうします」と聞かれ、私は「君と同じだけれども、同じようにできたか、また、そんな勇気があるのかの方が疑問だよ。でも君は正しいよ」と答えました。

そんな彼が毎朝、店に着くと「山崎さん、今日、何食べるの?」と、毎朝、「おはよう」の前に云うのだと。山崎君が私に「シェフ、青木に言ってやってくださいよ。まずは、おはようだろうって」。私が青木君に「青木、山崎の云うとおりだよ。まずはおはようだろう、な」。青木君曰く「だって、美味しいんだもの。その答えを聞くだけで、美味しいし、今日一日楽しいじゃないですか。ね、シェフ」と。

おっと、今朝も聞いたぞ。「何、食べる」。そう、今朝も目が醒めると家内が開口一番「今、何時」。そして「何、食べる」が、毎朝の日課になっていました。コロナが出てきてから仕事量が減り、私も毎日と云うよりも、寝る前や朝に、翌日やその日の段取りを作り上げると安心するのです。

考えて見ると、フランスに渡って2年目から今日まで49年間、賄いは私の担当だったようで、これからもたぶん動けなくなるまで私が作るんだと、父を見て思いました。

父は95歳までヘルパーさんの助けを借りて、一人で生活しており、お弁当も取っておりましたが、自分で朝食のトーストや紅茶、そして楽しみの酒のつまみを毎日作っておりました。その父も昨年の5月6日に97歳で大往生しました。

実はここまでの文章が前置きで、これからが本文になるのですが、今日は令和2年7月29日です。昨年の今頃、家内に「来年にはヨーロッパやフランスに行きましょう」と云われていました。父が健在のときは父を残して出るのが気が重く、旅の話は封印してきましたが、父が亡くなって、これで大手を振って行けるというので、家内と、どんな旅をするかと話しておりました。

家内の話を聞くと11年前に店の改装時に行ったローマやフィレンツェの話で、ローマは2度目だし、旅行雑誌では週に2回は行っているので、「土地勘があるから任せて」と。そして日本人独特の、あっちも見たい、こっちも見たい、あれも、これも、の話なのです。「これでは当地に着いたら別行動だな」と云う話になり、とりあえず、二人が共通して納得したこと。

1 ホテルは安全で清潔であれば良い。理由。ホテルを見に行くわけではないし、ホテル生活をしに行く訳ではない。寝に帰るだけ。

2 半日観光か、1日観光には乗る。理由。その土地の有り様がよく分かるので。個人では回りきれない。そして簡単なガイドが付く。

私もパリ市内に3年、近郊に4年、計7年住んでいたわけですが、皆さんが想像するほどパリの観光地は知りません。家内に「あの教会や美術館に行っていないの」と、バカにされています。

3 とにかく、ゆっくりとしましょう。目的の一つとして、東京の慌ただしさから逃れたいから。

昔、パリで付き合っていた彼女が東京に来たときに「Toshio、東京とパリの違い、分かる?」と聞かれて、返答に困っていると「どちらも都会だけれども、東京は1年中音がしている。商店がない住宅街でも、街灯の蛍光灯のジィーという音がする」と云っておりました。

4 地中海に行こう。理由。ドミニックに会いに行こう。

以上です

ドミニックの住んでいるところは有名なサントロッペから内陸に5kmぐらいのコゴランという町、いやサントロッペすら町というよりは村なので、フランス人式バカンスの過ごし方を家内に話しました。

それは、朝の早朝型とゆっくり型で、早朝型は、5時に起床し、水を飲んで、顔も洗わずに1~2時間散歩。帰りがけにパン屋さんに寄り、クロワッサンかチョコレートパン、パリジャン(バケットより大きい)を買い、シャワーを浴び、朝食。

ゆっくり型は、9時頃起床。シャワーを浴び、朝食。前日のパリジャンにバターを塗り、大きな器にカフェオレを入れ浸して食する。このときに、「今日、何する?」の会話。結果、何も決まらない。

どちらも11時頃から食前酒をひっかけて軽い昼食。ワインはカラフで1本。その後、4時まで昼寝。4時半から30~40分海に浸かる。6時にシャワーを浴び、おみやげ屋さんを冷やかしながら散策。7時30分夕食の食前酒。8時夕食。10時就寝。テレビはなし。

そんなことを昨年から客様にも話し、私が飛行機に30年以上乗ったことがないので、乗れるか、の話。テレビで見る飛行機に乗るのに、今は切符もないこと。私たちは携帯も持っていないので、と話すと、お客様が「大丈夫ですよ」と慰めてくれました。

そして今年に入って、パスポートと国際免許証を取ろうとした矢先、コロナ!!!

終わり。

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