《よく、目標を持ちなさい、夢を持ちなさい、という話を聞いた。そのたびに、目標や夢を語る人たちが羨ましく、自分も何かそういう語れるものを持ちたいものだ、「目標って何だろう」「夢ってなんだろう」「目標も夢もないってつまらない奴なのかな」と思っていた。
あるとき、主婦から起業して時の人となった方の話を聞いて気づかされた。それは、“何かをしたいと思っていること”が大事なことで、人生の目的や目標や使命といったものは、一生懸命に歩いている道すがら現れるものなのだと。小さなことの積み重ねでできたことであって、誰もが最初から夢のような大きな目標を掲げていたわけではない。 今、人が生きている使命があるとすれば、「昨日より今日、今日より明日、明日よりも明後日、成長していると感じられるように生きる」ことではないか、と思えるようになった。自分が人に語るほどの目標や夢を持てないでいたので、後輩たちには「馬鹿話で良いから、目標や夢を語ってみるといいよ。発想が広がるよ」と言うようにしている。》
今日は、8月18日火曜日です。何か、日記風の書き出しになってしまいました。
コロナ禍のなかで、暇なので、色々考えさせられてしまいます。で、これは良い機会だと思い、色々な意味で反省をしたいと思います。このきっかけを与えていただいたのが、また、亡くなられた前ハウス食品社長の浦上郁夫様でした。
今朝、ご近所でずっとお世話になっている歯医者さんに行ってきました。こちらの医院は、大先生の時代からです。お世話になっているのは。そう、あれは、阪神淡路大震災の当日、私は歯が痛くて、仕事をしていれば気が紛れると思い、朝4時頃から仕事を始めました。
7時頃にラジオを付けると、関西が大変なことになっていると伝えていました。大変だと思いながら、花に水をあげるため外に出たときに、散歩なさっている大先生にご挨拶しながら、関西の件と歯が痛いので、後でお伺いしますと話すと、大先生が「今、すぐに痛みだけとってあげますよ。来て下さい」と。そして直ぐに処置していただきました。
そして若先生、と云っても60歳に近い50歳代でしたが、今朝、歯と歯の隙間に圧力をかけて歯を少し動かしてから、「被せる」とおっしゃっていました。私は先生に、「へえ~、歯って動かせるんですか?」と云うと、「少しずつテンションをかければ大丈夫。強いと抜けちゃうからね。動くよ。はい、今日はこれだけ」と云われて返って来る道筋、動かして直せるんだと思い、先月から気になっている一つのことが頭に浮かびました。
それは、浦上社長様が、私に話しかけてくれた言葉のなかの「しかるべき時期にフランスに龍圡軒を持つべきだ」の言葉でした。前から、時々自分が小さく凝り固まっているような気がしておりました。そこへ12日に書いたなかの、この社長様の世界観、もちろんハウス食品という大会社の社長というお立場におられるので、世界を見てのお話しだと思います。
当時、私も「この『世界』というなかで見ていたはずなのに」と思いました。現ハウス食品の社長、ご長男の博様は、もう世界に進出して活躍なさっておいでです。で、私は、と思いました。それで、戻りますが、これは良い機会だと考えました。
実は、店を現状にしたのは、言い訳ではないのですが、ちゃんとした理由があります。
それは皆さんがよくご存じのトワグロです。フランス語で書くと、Troisgrosです。初めて、この名というか、言葉を聞いたのは、修行中のことでした。私は今でも覚えています。私たちは、名前で呼ぶよりも、渾名で呼び合っておりました。太っていたドミニックは、デブで、フランス語ではGrosグロ、私はToshioからTotoトトでした。そこへこのTroisgrosが来たのです。私の理解は、3人のデブです。
Troisは3,grosはデブで、3人のデブでした。ドミニックに「何だ。この頃よく聞くTroisgrosって、3人のデブか?」と聞くと、返ってきた答えが「Frere Troisgrosという兄弟だよ。JeanジャンとPiereピエールという2人兄弟だよ」と。私は「バカ云うなよ。だって3人って云っているじゃないか。3人デブで、トワグロって。3人が2人兄弟かよ。揶揄ってんのかよ」「いや、違うって。揶揄ってなんかないって。ロアンヌの有名なレストランだよ。トワグロは」で、初めて知りました。
その後、最後に勤めたシベルタで、Jean Fransoisジャン・フランソワという部下がおり、可愛がっておりました。彼はトワグロ出の若手で、その縁で、お兄さんのジャン・トワグロ氏と知り合いました。トワグロ氏は、ジャン・フランソワから聞く前に私のことを知っておられました。
日本人が最優秀見習いに選ばれたことに興味があったそうで、お会いしたときに云われました。「Toshio 私はお前のことが好きだ。だから云うけれども、店は大きくするな。そして有名になることが人生の目的ではない。自分が楽しく生活できることが1番大事だぞ」と云ってくれました。
本当意有り難い言葉でした。
そしてもう1人、それは母です。帰ってきたときに、1番最初に「あんたは大きいことを考えながら、自分の足下をまず見て、行動しなさい。分かった。お願いね」と諭してくれました。母は、龍圡軒の要で、1番苦労した人でした。
この話を書いているときに、思い出し、家内に、ジャン・フランソワは、今、アメリカのビバリーヒルズでレストランを経営しているけど大丈夫かと話しながら、そういえば、ジャン・フランソワのお母さんとも3回ほどお会いしたけれども、前に書いたリッセの友人でコムデギャルソンに勤めているキヨ、そう、確かお母さんもコムデギャルソンだったと思い出しました。 もう40年も前の話ですが。