■挨拶
挨拶の「挨」は“押す”、「拶」は“押し返す”の意で、本来は禅僧の「知識考案」における「受け答え」をさす語で、それが一般に使われるようになったものです。
「おはよう」は、「お早くから、ご苦労様でございます」などの略で、朝から働く人に向かって言うねぎらいの言葉。
「こんにちは」は、「今日は、ご機嫌いかがですか」、「今日は、御日柄もよろしく」などの略で、お昼に初めて出会った人の体調や心境を気遣う言葉。
「こんばんは」は、「今晩は良い晩ですね」などの略。
「さようなら」は、「左様ならば・・・」の略で、「それならば私はこれで失礼いたします」の意味。
現代の挨拶言葉は、後半が省略されてしまい、それ自体では意味不明になってしまっていますが、少なくとも「あなたの敵ではありませんよ」と伝えるために、相手の警戒心を解きほぐし、安心感を与えるのが挨拶だという本旨は、変わりません。
挨拶は、相手がそこに「存在する」ことを認め、「敵ではない」ことを知らせるものです。
挨拶をしても反応がなかったとき、多くの人が不快感を抱くのは、自分は相手の存在を認めたにもかかわらず、相手が自分の存在を「敵ではない」と、認めなかったことに腹が立つのかもしれません。
相手の存在を認めていることを相手に積極的に伝えるために、まずは挨拶で相手の承認欲求を満たし、前向きな意欲を伝えて、良い人間関係を作るということでしょう。
アイヌの人たちが遠来の客に対して使う「こんにちは(イランカラプテ)」の意味は、「あなたの心にそっと触れさせてください」だと言われていますが、挨拶の本質を表す、素敵な言葉だと思います。
不審者による凶悪事件などの犯罪が増えてきたので、子供に、「知らない人に挨拶してはいけない」、「知らない人と目を合わせるな」という人がいますが、知らない人にも相手の目を見て挨拶をして、そこから人を観察する目や人間関係の距離感を計る感性を養ったりすることを教える方が大切だと思います。知らない人についていってはいけないとか、相手との距離を保つということは、その次の判断の話になります。
窃盗事件などの犯罪が続いていたマンションの管理者が、地域住民の挨拶が行き届いている地域では犯罪が少ない、と聞いて、マンションの住民同士での挨拶を実践するように声掛け運動をした結果、犯罪がなくなったというエピソードがありました。
テレビで、犯罪経験者がインタビューに応じて、「顔を見て挨拶をきちんとする地域の人たちは、よそ者や不審者に気がついて顔を覚えているので、悪いことをできない」と語っていましたが、やはり挨拶と警戒心は関係があるようです。
挨拶は、黙礼だけではなく、ちゃんと相手の目を「優しく」見て、「笑顔」で、「明るい声」と「はっきりした口調」でしたいものです。
声に出すとともに、軽く会釈を添えたり、手を振ったり、ハグをしたりする動作をするのも印象的で、効果的です。
子供には、挨拶は、人との繋がり(一人で生きているのではないこと)を意識し、人間関係をつくるための第一歩として、「躾ける」べきです。
挨拶をするとき、「○○さん、こんにちは」と相手の名前を入れるなどの工夫をすると、より親しみを感じるようになります。
人が人間として生きていくための最も必要な「躾」という智恵を教えるのに、理由や説明はいりません。要らぬ説明するのは、社会の迷惑になります。
■返事
初めて出会ったときに挨拶をする。知っている人に用事があるときは、呼びかけをする。その呼びかけや問いかけへの応答が“返事”です。
「はい」という言葉は、江戸時代から使われはじめ、基本的には、肯定を表す言葉です。「拝」という言葉からきた丁寧語だという説があります。
「拝」という漢字の由来を意識したものかもしれません。
「拝」という漢字は、腰をかがめ両手を添えて、花を抜き取る様を現したもので、その姿勢が腰を低めた拝首の礼に近いので、その義になったもの。
拝命、拝受、拝顔のように使われ、その意味は、①草花を抜く、②腰を低くする、かがむ、敬礼の法、③受ける、④詣でる、とあります。
「はい」という返事には、相手に対する尊敬や尊重とポジティブな姿勢が込められていて、挨拶からさらに、人間関係をより深化させる働きがあります。
相手を気持ちよくさせる響きを持った「はい」という返事は、挨拶とともに心がけ、身につけたいものです。
「生返事」や「二つ返事」は良くない返事の代表で、否定を表す言葉は「いいえ」になります。
若い頃、先輩から、陸上自衛隊で、部隊の健全性を表すものは、敬礼(挨拶」と「はい」という返事だ、と教わりましたが、自分がさまざま部隊での勤務を経験して、まさにその通りだと実感しています。