《趣味で続けるスポーツは良いものです。

私はバスケットボールでしたが、20代の小隊長時代は、取り柄は体力とヤル気しかない。というので、課業時間外のスポーツに誘われれば、何にでも顔を出していました。バスケットはもちろん、バレーボール、ラグビー、駅伝。

素人ラグビーは、途中で止めたとバカにされちゃいけないというので、雨が降っても誰も居なくても、兎に角毎日グラウンドに出て、ライン引きやら魔法の薬缶持ちやら、できることをやっていました。やっと出してもらったのが大阪実業団Cリーグの決勝で、なんと記念すべき1トライ。

駅伝も実業団出場。隊員の富士登山駅伝になんとしてでも参加したいというリクエストに応えて、部隊にはかなりな無理を言って参加。必死の思いで走ったのも懐かしい。行った先々の部隊で、楽しい思い出が一杯です。 一日中訓練で身体を使って、課外にまた隊員と(引っ張り出して?)スポーツ。皆と仲良くなって楽しかったけれど、今では考えられないハードワークでした。》

暁星にいるときには、やっと一度東京都大会に出場しました。千代田区代表で。これが私の卓球での実力です。この上には、東京都代表として関東大会、そして全日本です。今これを書いていて、料理では全仏まで行って4位だったんだと、自分ながらに感心しました。いやすごい。

それはさておき、こうやって思い出してみると2軒目のオジエ氏のところでも、その後の地中海、最後の店シベルタのときも卓球はしていたんです。忘れていました。卓球人口は、正直少ない。いや、少なかったです。今は分からないので。家内が「フランスって卓球は強いの」と聞いてきました。返事は「そんなに強くない」。すると家内が「やはり中国よね。日本もそうだけどアジアよね」と、確かにそうです。ヨーロッパではドイツやスウェーデンが盛んです。

でも不思議なことにどこに行ってもプレーしている人がいたんです。なぜだろうと、ちょっと考えてみました。卓球台の大きさは、長さ2.74m、幅1.525m、高さ76cm。ネットの高さ15.25cm。ボール40mm。意外に小さいのです。

どこにでもある理由の1つ目。それは誰でもできることです。あの有名な愛ちゃんを見ても泣きながらようやく目の高さが台に届く頃からプレーしており、また80歳代の方までプレーしております。

次は、あまり場所をとらない。上手になればなるほどプレー範囲は広がりますが、1960年代中国が前陣速攻という戦略を編み出しました。当時としては画期的な一幕を開けました。それは卓球台から離れずにボールが卓球台から飛び出す前、ボールが変化する前に打ち返すのです。世界はアッという間にこの戦法に屈しました。これに慣れて克服するまでに数年かかったようです。コロナと同じですね。何せ新しいことなので。嫌みではなく自然の理だと思います。

なぜならば、それ以前は圧倒的に北欧が強かったのです。それは地の理、自然の理でした。場所をとらない→室内競技→冬寒い→屋外で遊べない→室内=プレー人口増→北欧。ちょっと強引なようですが事実です。あのテニスの名プレーヤーのボルグ氏も卓球から出てきました。中国も北に行けば同じです。

こんな背景があるのでフランスでも小さな町や村の公民館に卓球台がありました。家内曰く「入りやすいスポーツね」と。その通りだと思います。

そして話は、オジエ氏のところで起こりました。

パリから南西に20kmのところにあの有名なベルサイユがあります。東京で言えば、新宿から調布といったところだと思ってください。そこからさらに車で飛ばして13分。これは当時の映画の最終上映開始時間が22時だったので、21時30分に店を出れば見られたのです。普通では20分くらいの国道沿いのところです。

当時、フランス料理協会の会長で有名なエスコフィエの弟子だった方で、広大な土地をお持ちでした。その広さは皇居の1.5倍くらい。もちろん土地の名士です。土地の名前は、Pont chatrain ポント・シャトランと云い、店から歩いて20分位のところに通勤電車の駅があり、朝2本、夕方に2本、通っていました。 

あるとき店のお嬢さんから休み時間に呼び出されました。お嬢さんはホールの要、いや店の要の方なのです。私はちょっと心配で、あれ、オレ何か拙いことをしたのかなと思い、少しビビりながらホールに行きました。すると「Toshio、来週の水曜日、休んでいいから行ってきて。頑張ってね」でした。私は正直、何を言っているのか分からなかったので「すいません、何の話ですか?ミッシリィーヌさん」と聞き返しました。「あれ、Toshio知らないの?あなた、来週、イブリーヌ県の大会でしょ。卓球の」。私はそんな大会があることを知りませんでした。

話を前日に戻すと、昨日、夜の7時過ぎに4人の男性が店に入ってきたそうです。そしてミッシリィーヌさんの妹、フランソワーズさんの旦那さんの紹介で、ミッシリィーヌさんに会いに行かれ、そこで4人から私を休ませて欲しいと云われたそうです。もっと詳しくお話すると、4人の中の一人ヒリップは小学校の先生でフランソワーズさんの旦那さんポールの同僚、ポンシャトラン村の公民館のスポーツ部の役員でした。公民館には卓球部があり、今度の県大会に私をポンシャトラン村の代表の一人として出ていただきたいので、休ませていただけないでしょうか、という話でした。

私もようやく話が見えてきて、安心しました。良かった、怒られないで。ミッシリィーヌさんに「私もときどき公民館で卓球はしますが、クラブ員ではないので」と話すと、「大丈夫よ。頑張って。私の嬉しいの。店から代表者が出るなんていいわ。昨晩、主人にも話してあるわ。今朝、父にも話しておいたから、頑張ってね」でした。

私は卓球の中心人物、ルノーに勤めているフランソワに電話して「前から店は休めないからと話してあったよね」と云うと、「ごめん。皆で今度の大会の件で誰を出場させるかを話していたら、皆が、Toshioが入ればいいところまで行けるということで。事前に話せば君が断ると思ってヒリップに話したら、彼が自分で頼んでみると云うことで、昨日お伺いしたわけ。ごめん」でした。

結果、個人戦はベスト16,団体は3回戦で敗退でした。

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