《何人かい天才と呼ばれる人に会ったことがあるのですが、皆、アイデアが降りてくる、湧いてくる、というような表現をされていました。
共通して仰っていたのは、「アイデアが湧いてくるときは、子供が色んなことを思いつくのと一緒だよ」と。「そういえば、子供は天才だって言いますよね」と言うと、「だから皆、一緒なんだよ」というような会話。
分かったことは、アイデアを実現するために滅茶苦茶、努力をしていたというのが共通点。 そこで凡人が思ったことは一つ。あれだけの努力はできないなぁ・・・・と。》
天才という人物にあったことがありますか?私はまだ会ったことがありません。
優秀な方々は何人か知っております。小学校の同級生で阿南惟幾大将の孫の阿南君。暁星では河合君という同級生。中学3年のときに彼と彼の友人3人、学年トップの4人が卓球部に入ってきて一躍、学校の優秀な?クラブになりました。彼は学校の手前、東京大学も受験したのですが落ちました。同級生曰く、わざと落ちたんだよと。日本医科歯科大学に首席で入学。学業で分からないことを聞くと、先生より分かりやすく教えてくれました。趣味は落語でした。でも天才ではありませんでした。
天才とはたぶん生まれながらに何かに飛び抜けて秀でている方だと思っております。あのダスティン・ホフマンさんの映画、レインマンのように。
スポーツや絵画などの私の見識は本当に小さな世界で、なかには天才がおいでなのかも知れませんが、私の目から見ると皆さん、大変な努力の積み重ねの結果、世界に君臨されているように見えております。
前に東京大学でのお客様に「東大ですか。凄いですね」と云いましたら、「オレたちなんて唯の秀才。いるんだよな~。東大に本当の金時計組が。一度頭をかち割って中を見たい奴が」とおっしゃられましたが、私からすれば、東大に入れる頭があれば羨ましいのにと。
天才には会ったことがないので、ただぱっと頭に浮かんだのが、あのザグラダファミリアを設計したガウディー。前にテレビの特集で、普通は下から積み上げて設計するのに対し、ガウディーは頂上を吊し、それから吊り下げて設計したと聞きました。そして浮世絵の葛飾北斎の富岳三十六景の構図。あんな構図が浮かぶとは。こういう方々が天才と言われる方々なんだろうと思います。
ピカソは違います。あるその世界の先生が話してくださいました。ピカソは困った結果ああいう風になったんだと。それは写真が台頭してきたとき、先行きを考えて写真ができない三次元を二次元のなかに織り込んだとのこと。大変分かりやすい解説でした。こう見ると、発想を転換して物事を大きく変えることも一種の才能だと思いました。
私の身近にも一人おりました。私の師匠です。
1972年焼き物で有名なリモージュから店に大きな皿が届きました。直径30cmの大皿でした。その頃の日本の皿は24cmでも大きなほうでした。そしてその時期から皿盛り料理を出し始めたのです。Gault et Millauゴ、ミヨという料理評論家二人が取り上げNouvelle cuisineヌーベル・キュイジィヌ(新しい料理)と名付け、2年目のバカンス、ブロターニュのときに、ゴ氏が情報をとりに2日ほど泊まっていきました。これはフランス料理界に大きなインパクトを与えました。師匠の弟子筋のロブッション氏も、やりすぎたと云って反省しておりました。
長々と書きましたが、これからが本題です。スポーツでも同じようなことがありました。それは卓球の世界です。前の稿にも書きましたが、卓球は誰でもできる親しみやすいスポーツと云うよりも身近な遊びです。皆さんのなかにも温泉宿で浴衣を着て、スリッパをラケット代わりに遊ばれた方もおられるのではないでしょうか?この親しみやすい遊びをもっと親しみやすくしようと思った人がいたのです。名前もどこの誰だか知りませんが、親しみやすく変わったのです。だから愛ちゃんも出てきたのです。ちょっと極端ですが。
それは2000年、ボールが変わったのでした。大きくなり、セルロイドからプラスティックに変更されたのです。その違い2mmです。でもこれは大変な変革だったのです。
一番大きな変化は、大きくなったことによって空気抵抗が増え、ボールのスピードが落ちたことです。これが凄い。何が?落ちたことによって、ラリーが続くのです。続くことによって見ている人達に楽しみが増えたのでした。
もう一つは前の38mmの時代ではスピードが速すぎてテレビ中継にそぐわなかったのです。テレビでは玉が小さいのと速いので、目で追えなかったのです。そこへもう一つ。以前はボールは白と決められていたのですが、カラーボールが認められたこともプラスになりました。
かくしてショーアップでき、テレビに取り上げられることによって、より親しみやすいスポーツへと変化したのです。以前は中学校のクラブ活動のなかで、卓球部=暗クラブだったのが、今ではオリンピックの金メダルも狙えるようになったのです。
これを仕掛けた人は、まさに天才と云える人だと思います。誰でしょう?