《年をとるにつれて、人間、子供に先祖帰りしていくような気がするときがあります。かつて、自分が子供に躾をしたように、自分のことは自分でする、相手の目を見てハイと返事する。笑顔で挨拶をする、人に親切にする、親切にされたら、ありがとうございますと言う・・・・、
こんな当たり前のことがちゃんとできていたら、素敵な爺さんになれるだろうなと、思ってしまいます。》
コロナ禍でうちのチビに7ヶ月ぶりに会いました。うちのと書きましたが、姪の子供です。元気な負けず嫌いの子、4歳です。小学生にも向かっていく元気な男の子で、5つ上にお姉ちゃんがいます。このお姉ちゃんにも負けまいと、盛んに挑んでくるので、しょっちゅう喧嘩になります。お姉ちゃん、ココこと心寧(ここね)は、週末、じじ、ばばのところに泊まっています。チビはお姉ちゃんのことを蹴るので会ったときに注意しようと思っていたところ、母親が叱ると言うじゃありませんか。「足の筋肉が勝手に動いちゃうんだよ」。
どこで覚えたんだろうと家内と話しておりました。ココが2歳になる頃、お祀りの神輿を皆が「わっしょい、わっしょい」と担いでいるのを聞いて、母親に抱かれながら「ワットイ、ワットイ」と声を上げていました。ワットイは、今では家内の口癖になってしまい、何かする前に必ずワットイが出てきます。私たち夫婦に子供はいませんので、それで前回の小堀鷗一郎先生の「もう、やめない」が出てくるのです。
私と子供たちの接点は、ほとんどがフランスの同僚の子供たちです。23~24歳になる頃にバタバタと友人たちが結婚し、子供が生まれました。その子供にとって、私は大好きなおじさんでした。友人宅に遊びに行くとまず私に云うことは、「Toto(私の渾名。落語で云うはっつぁん)、絶対に甘やかすなよ。お前はときどき来て楽しいだろうけど、あの子のためにならないから」と皆、口を揃えて云っていました。
今、日本でも時代は変わり、0歳児でも保育園で預かっていただけるようになりましたが、今から44年前にはとても考えられないことでした。その頃、これは良いなと思ったことは、自分の子供を一人に人格として対していたのです。だから子供も2~3歳くらいから自分を持って主張していました。前にも書いたように、日本では、親の都合であるときはお姉ちゃん、お兄ちゃんで、そして時には、子供なんだからと、子供の立場がコロコロ変わるのは、良くないと思います。
これの延長線上にアルバイトがあると思います。今は分かりませんが、私がいた1970年代には、アルバイトでもちゃんと年金を納めていたのです。例えそれが100円でも。そうでないと年金制度が根底から崩壊してしまうからです。
雇い主は雇い人に100円を払ったら、同じくらいの100円を年金として納めていると聞きました。また職業によって年金受給開始年齢が違っていました。ホテルリッツの調理場にも、名前は忘れましたが、かなりお年を召した方がおられました。話を聞くと、来年から年金生活になると云って、喜んでおられました。確かこのとき年金開始年齢が75歳と云っておられ、記憶が確かではありませんが、ゆうに70歳を超えていたのは確かです。今聞くと、そんなに遅いのかと思いますが、あの時代、フランスではお年寄りが働いているのが目につきました。
私の店に国家試験のコンクールの写真がかけてありますが、写真を見ると、もちろん私が一番若いのですが、オジエ氏84歳、タンゴ氏83歳、私の師匠64歳、校長はたぶん66~67歳だと思います。待ち場のレストランにもかなり年齢のいかれた方々が元気に働いていらっしゃるのを見ました。
手前どもにお見えになるお年寄りのお客様は、80歳を過ぎても元気に、何かにつけて社会との接点を持たれている方が多いように思います。現に、昨年100歳で亡くなられたスーパーおばあちゃん。私が生まれる10年前、昭和17年からのお客様。成田さんは97歳まで現役で3億円の仕事をまとめておられました。
三代目の父も95歳までヘルパーさんの助けを借りて、一人で生活しておりました。毎週日曜日には、父のところに何か用事はないかと顔を出しておりました折、4年前の3月に「利男、そろそろホームの手配をして欲しい。ここのところ、2回ほど家の中で転んだから」と。直ぐに手配し、5月から成城アルテハイムに入居させていただきました。これにはオチがあるのです。
以前からヘルパーさんが、朝からお酒臭いときがあると知らせてくれていました。その前年、めがねの度が合わないので眼鏡屋さんに言ったところ、白内障の疑いということで眼科に行き、先生にお酒のことも含めて相談したところ、大変良い先生で、「お年を考えて、手術はできるのですがこのままのほうが良いと思います。めがねを新調して、楽しくお過ごしください。お酒の件ですが、楽しみながら召し上がってください」と云っていただきました。この件を姉と妹に連絡すると、父が楽しく生活できることが一番だと、私と同意見でした。父が倒れたときのことを詳しく聞くと、どうも犯人は焼酎で、酔っ払いで転倒したのです。
その後、成城アルテハイムの所長さんと世間話のついでにこの話をしました。すると「こちらでも召し上がって結構ですよ。岡野さん」と。私も酒飲みのほうなので、早速父にご注進すると、父は「もういい。人生で大分飲んだから」でした。幸せな父だと思います。ただ一つ申し訳ないことをしたのは、私たちは安心していられるのですが、ホームでは何から何まで面倒をみていただけたので、父は何もすることがなかったのです。これは悪いことをしたと思いました。
お客様のなかにグループホームを運営なさっている方がおられます。食後、ホームの話になったときに、私の持論を話しました。
その1 入居老人を甘やかせてはいけない。できる仕事をさせて、金を稼がせろ!
その2 稼ぎ出したお金をかけて、賭けマージャンをさせる。現金で!
その3 女性は毎朝自分で化粧をさせろ!
その4 男性にはポルノを見せろ!
驚いたことに、このお客様は、真面目に検討したことがあったそうです。