コロナの緊急事態宣言が明けて、桜が満開。参拝客が間隔を開けて、列をなす。
香取神宮は、神武天皇の御代に創建されたと伝えられ、江戸期までは伊勢・香取・鹿島のみが「神宮」と称せられていた。鹿島神宮が、力強く重々しい空気があるのに対して、香取神宮は、黒漆塗りの厳かな雰囲気の社殿であるにも関わらず、優しい穏やかな空気に包まれていて、二つの神宮の空気感は不思議なほど、まったく異なる。
香取神宮は、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)で、奈良の春日大社や宮城の鹽竈神社などは香取大神を御祭神としている。香取神社は、全国に約400社あるとのこと。
鹿島神宮と並び称せられることから同じ頃に創建されたのだろうが、本当はどちらが先に祀られたのだろうかなどとつまらぬことを疑問に思っていた。
今回、香取浦の入り口に位置する香取神宮と鹿島神宮の古地図を見せていただいて、昔は海だったという話をお聞きしながら、勝手な想像力を働かせた。
地図もない古代のこと。やっぱり伊勢方面から東進してきた先人は、先に香取付近に拠点を設けて神様を祀った後、そこに連携する形で、入り江を制し、外海を一望できて、日の出が最も美しく見ることのできる鹿島の土地に神様を祀ったのではないか。
さらに未開の道の奥に東進する拠点として、武への信仰が強くなり、地域全体が発展すると、やはり発展の象徴になるお宮への信仰を強くし、勢力を強くしていったのではないか。
丁度、柔和な徳を備えた和魂(にきみたま)が香取神宮で、荒々しく勇猛な荒魂(あらみたま)が鹿島神宮で、出雲の大国主神との国譲りの交渉には両方の神様が一緒に出かけたというから、性格の違う二人で交渉事の役割分担をしたのだろうか。両神宮とも軍神・武神として有名なのだから、元々二社一体のものではなかったのだろうかなどと、ここでも勝手に想像をふくらませる。
災害防止研究所に関係があるのは、二つの神宮がつながっている要石。地震を起こす大鯰を抑えていると伝えられている。要石については、以前、書いたとおり。
地表にわずかに出ている頭頂部は、香取では凸型形、鹿島では凹型形。
ここでは、『念(おもい)かなうかなめいし 「石」は「意志」に通じます』とあった。
鯰が暴れませぬように!!?
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