組織が変革する第一の要因は、任務・役割の変化。その次が、技術の変化。それが、ソフト面での変化(業務の変化)を引き起こす、という話をしました。
では、意識の変化はどこから起こるのか、というとやっぱり任務・役割の変化、任務・役割への意識から生まれてくるものだと思います。
これってすごく簡単な話で、やらせれば良い、だだそれだけです。
結果は分からないけれども、場を与えて、やらせてみる。できるかできないかは、「やれ」と命じた者(「場」を与えた者)の責任で、やらせてみる。そのときは当然、やらされた者の責任は問わない。
それが嫌なら、意識の変化は生まれません。
失敗するのが嫌で、教育だとか、何とか言っている暇があったら、リーダー自らがどうやったら良いかを考えて、それをやらせてみる。
命じる者に、結果を受け入れる覚悟があるかどうか、それだけではないでしょうか。
命じると言うことは、我慢することでもあります。
私が連隊長をしている当時、小隊規模(約40名)の対抗の競技会方式での戦闘訓練がありました。2km×3kmくらいの地域のなかで、戦闘シミュレーション装備の、レーザー交戦装置(通称バトラー)を身につけて闘います。バトラーにはGPS付きのセンサーがついていて、いつ、誰が、どこで、誰(何)に、やられたかの戦闘結果がコンピューターの画面上に表示されます。部隊指揮の経過は、無線を傍受して把握し、戦闘結果と合わせて評価します。
指揮官は目立つことが多いので、どうしても撃たれることが多くなり、戦死の判定を受けると、次級者に指揮を継承していきます。次から次へと指揮を継承していくと、最後の方は、入隊して数年の若い隊員が10名くらいの隊員を指揮することになります。
そんな訓練を繰り返しているとき、夜、テントの中で現職のベテラン小隊長と若い陸士長の隊員が、部隊の運用について語り合っている場面に遭遇しました。その日の訓練では、小隊長以下、ベテラン隊員が戦死して、最後はその陸士長が小隊長役をしていたのです。
戦闘の場面を振り返って「私はこうしたら良かったと思うけれども、どうでしょうか」みたいな会話が真剣に交わされていて、普通ではあり得ない、非常に面白い光景でした。
その部隊は圧倒的な強さで師団一になりましたが、訓練を通じて、全員が自分で考えて行動するように成長し、誰もがいつでも小隊長が勤まるほどに意識が高くなっていたことが一番の強みでした。
基礎的な戦闘動作をしっかりと身につけていましたから、それを見た多くの人たちが、「お前がめちゃくちゃ厳しく鍛えたんだろう」とか、「戦法を徹底的に教え込んだのだろう」と言われましたが、決してそのようなことではありませんでした。毎日の訓練とミーティングの反復で、全体の状況と指揮官の考え方、仲間の性格、基礎的な戦闘動作の価値を理解した上で、自ら考えて行動することができるようになっていたことが、強さの理由でした。
バトラーをつけて行う訓練は、1日1回くらいしかできませんでしたが、図上での対抗訓練を一晩中と言って良いほど繰り返しました。対抗方式ですから、敗れては改善して勝利し、勝利したら次は敗れるという具合に、隊員たちが納得するまで繰り返しました。
考えて行動する、行動して考える、考えながら行動する、そういう習慣が身についていきました。
それはこの戦闘訓練の場面だけではなく、日常の生活すべてに通じるものでした。
今でも、思い出す度に、素晴らしい隊員たちだったと感謝しています。
意識の改革は、マニュアルを学ぶことで、できるものではありません。
「やらせる者とやらされる者」の意識から抜け出して、構成員全員が「統治者の意識」を持って参画することでできあがります。
組織にフラットな関係など存在せず、必ず上下関係はありますが、その関係は、chain of commandで、指揮の(責任と権限)連続で成り立ちます。
責任と権限を持つ者の間には、プロとして、お互いの立場を尊重する緊張関係が不可欠なのです。
これが理解できない管理者には、一度、“戦死”して次級者に指揮を譲ってもらって、それを見守る体験をしてもらうと良いかもしれません。
擬死体験は、人が生まれ変わる体験ができると言われているそうですから・・・・。