津波災害の恐ろしさとその対策を語るとき、必ず出てくるのが「津波てんでんこ」の教え。
「てんでんこ」とは各自のことで、海岸で大きな揺れを感じる地震があったときは、必ず津波が来るから、各自はてんでんばらばらに一刻も早く高台に逃げて、自分の命を守りなさい、という意味です。
自衛隊だって、例え目の前のことであっても、全員に意図を徹底することは本当に難しいのです。地域社会のなかでどうやってこれだけの共通認識をつくることができたのだろうかと、自分が組織を運営してきたことを考えると、教訓の伝承や教育の大切さや徹底という言葉以上に、その難しさは、肌感覚として、身に滲みて理解できます。
このような意識が普及した背景には、存命の世代が、昭和(1933年)、明治(1986年)と、1960年のチリ地震津波を通じて、体験を語り継いでいたことがありました。もちろん、貞観の大津波もありましたし、それ以降の大津波もあるのですが、決して「千年に1度の大震災」に備えていたという訳ではありません。もっと、身近な、46年に1度の経験だったのです。
人の流入(出入り)の多い地域では、「逃げること」を普及することが極めて難しかったことが、この身近な脅威の影響、持つ意味合いを現しています。今だからこそ、色々なことを言う方がいらっしゃいますが、身につまされることでなければ動こうとしないのは、人間の本性として、仕方のないことです。自分自身がその脅威を引き受ける決心と覚悟を持って、行動を選択しているかどうかが、問われるべき大切なことだと思います。
それはともかく、このような環境なかで、片田敏孝・群馬大教授(災害社会工学)の8年間の普及の努力が、「津波てんでんこ」実践の最も大きな要因だったようです。避難訓練を8年間重ねてきた岩手県釜石市内の小中学校では、全児童・生徒計約3千人が即座に避難し、生存率99・8%という「釜石の奇跡」を起こしました。残念なことに、このとき児童を引き取りに来た一人の保護者の方は、教職員が児童を避難させたことを説明して一緒に避難することを勧めたのですが、児童をつれて帰宅して、津波の犠牲になってしまったそうです。
この「津波てんでんこ」は、たんに言葉を普及したということだけではなく、地域の方々への施策の普及、学校内(教職員)相互の意思の疎通、児童・生徒達の津波への理解促進、安全な避難場所の周知、家族内・地域の方々と教職員・教職員と児童生徒との信頼関係の構築、誰かが率先避難者になるという集団心理の実践・・・・等々、一つひとつの施策を普及する努力の結果生まれた結果でした。
当事者の方々にとっては、“信頼関係”によってつながる、より良い地域コミュニティを実現するための努力の一つの成果であって、「奇跡」ではなかったのではないでしょうか。私には、釜石市が、「奇跡」という文言を使用せず「釜石の出来事」として扱っているところに、その強い自負の意識が感じられます。自分たちが受け継いでいく、もっと大切な価値を発展させていこうとしているのだぞ、と。
良き地域コミュニティを作るための努力の一つであって、津波から逃げるためだけのものではなかったと考えて、教訓を生かすべきだと思います。
組織づくりを仕事としてきた私から見ると、この信頼関係を構築して、何らかの価値を感じてもらうことにこそ意義があって、成績や成果はその結果でしかありません。巧くいってもいかなくても、何らかの価値を実現してさえすれば、そこには進歩があり、充実感があり、未来があります。そういう防災教育であってほしいものです。
そして、一人でも率先して行動してくれるファースト・ペンギンを育てることができれば、組織全体の大きな動きにつながっていきます。