人材育成に力を入れたい、という上司がいます。
部下の本音。
「お前達は仕事ができない、と言っているのかな?」
「仕事をしなくて良いなら、それもいいが・・・」
「まさかこれ以上、仕事の時間を圧迫するんじゃないだろうな」
「人材育成する余裕があるなら、仕事を楽にすることを考えてもらいたい」
「育成する時間があるなら、仕事を手伝って欲しいが・・・」
「人材育成の前に、今、何をどうやったら良いのか、はっきり言ってくれ」
「それが分からないで言っているなら、自分で答えを出してからにして欲しい」
「どうしたら良いか悩んでいる者に、人材育成はないだろう」
「あんたなんかに育成してもらいたくない」
・・・・・
部下の本音が分からない人は、人材育成などと悠長なことを言っている場合じゃなくて、その前に、部下の考えを知り、部下との信頼を築く努力が必要です。
しかし、人材育成をしたいという上司にも、放っておいてくれと文句を垂れる部下にも、共通する欲求があります。
それは「さっさと仕事を片付けたい」。
ちょっとレベルが上がると「良い仕事をしたい」。
もっと意識が高くなると「人の役に立つ仕事をしたい」。
欲が出てくるともっと高いレベルの欲求が出てくるのですが、普通、そこまでは一致しません。でも、「さっさと仕事を片付けたい」ニーズは、間違いなく一致します。
何かをしようとするときには、皆が共有できる目標が必要です。
私は、あくまで“自分が満足できる仕事をしたい”がゆえに、部下に良い仕事をしてもらいたくてアドバイスをしていました。私には、部下の助けが必要だったのです。部下のニーズは聞く必要もありませんし、分かりませんでしたが、とりあえず、“良い仕事ができるようにアドバイスする”ことで勘弁してもらっていました。
そもそも教育はあるにしても、人材育成は他力ではできないものだと思っていますし、誰かに育ててもらおうなんて考えている人間が、独り立ちできる訳がない、と思います。
できることは自力で頑張ってもらう。そのためにアドバイスをする。そして、組織全体の機能を高めていくのです。
納得できないことや理解できなかったことは、上手くできたとしても、それは成功ではなく「言われたからやった」受動的なものに過ぎませんから、身につくものではなりません。
そのなかで少しでも一生懸命に取り組んだときには、「俺がやった」という気持ちが湧いてきて、自信につながります。そういう気持ちをくすぐりたいのです。
そのときに、気付きの場をもらってお世話になりました、なかには感謝を込めて「育ててもらった」と言う人もいるでしょう。
上司は部下から仕事の成果をもらっているのですから、そう言ってくれるだけで十分。
同じ仕事に取り組んでいるときに、リーダーが「人材育成したい」などと蚊帳の外から話をするようでは、チームや組織の一体感は生まれません。それだけで、組織崩壊です。
冗談交じりに、よく部下に「訓練」と言ったときにどのようなイメージを持つか。「トレーニング」ではどうか?という質問していました。
「訓練」のイメージは、苦しい、辛い、しんどい、眠い、疲れるというマイナスイメージ。
「トレーニング」はというと、身につく、向上するというプラスイメージ。
日本語と英語の違いだけなのですが、この受け取り方の違いは、どこから来るのか。何が原因か?
これは訓練だけでなく、すべての仕事に当てはまります。
何のために仕事をしているのか、何のために働くのか、生きているのか、そういう話に通じる課題です。
今の飽食の時代、食べるためだけではなく、仕事により大きな価値や意義を求めている。仕事は、食べるためのものではなく、自己実現のための一つの場である、しかしかけがえのない場なのだと思います。
私が仕事をしているときの目標は、「トレーニング」のようなプラスイメージを与えること。訓練や仕事をして、何か身についた、向上した、勉強になった、というものを部下に与えること、でした。これは自分自身がそうであったから、部下にもそう感じてもらいたいと考えた、ということです。
訓練や仕事をすることが目的ではなく、それを通じて、何が自分自身の身についたと、どうやって充実感や満足感、喜びを持ってもらうか、仕事の目的達成に付加価値をつけながら、組織の機能を高めることが、私の目標でした。
組織づくりの原点だと考えています。