《もう20年以上前、ある先輩が、「他所では絶対に言ってはいけない話なんだが」と、嬉しそうに話しかけてきました。
「人間は、普通、子供と大人、男と女に分けるだろう。あれは区分の仕方が間違っている。子供と大人と女の3つに分けるのが正しい区分の仕方なんだゾ」
「うちの家は女ばっかりだから、男と女の違いが何か、ずっと考えながら見ていたんだが、10年ほど前に、やっと分かった」
「男は、子供が大人になって、別の生き物になるが、女は、子供のときからずっと女で、死ぬまで女のままで、子供と大人の区別がないんだ」
「それで、女房に、どう思うかって聞いてみたんだが、3日間、食事を作ってくれなかった。おかしいと思って、職場で、若い女の子に聞いてみたら、1週間、口をきいてもらえなかった」
「だから、きっと正しいと思っているんだが、そう思わんか?」。 後輩一同、「危険だな。奥さんが正しい」。(A.Y)》
今年の8月8日に69歳になる私。この歳になってびっくりしていることの一つが男と女です。
子供の頃から分かってではいたのですが、こんなにも物の受け止め方に違いがあり、当然、その受け止めた物からの社会に対する反射も、こんなにも違いがあるのだと、思わされました。
それ以来、女性の書いた本に目が行くようになりました。
振り返って、女性の書いた本を思い出してみると、有吉佐和子さんの「紀ノ川」。この本との出逢いは自分で選んだのではなく、フランスに渡った年に、日本のリッセの寮の舎監をしておられた矢島さんの奥様から借りた本でした。この本が私の人生三冊目の本で、最初に読んだのが、石原慎太郎氏の「青年の樹」。その次が、今も愛して止まない團伊玖磨氏の「パイプの煙」。そして「紀ノ川」だったわけです。
その後、フランスにいる間に本を読む、いやこの話は別のときにします。それ以来、女性作家の名前が出てきません。
そう云えば、衰えたフランス語のために、できるだけフランス語の本を読もうと思い、フランス人女性の書いた“フランスの傑出した女性”キューリー夫人。パリのデパート、サンマリテーヌのマリー・ルイズ・ジョイやシモーヌ・ベイユを紹介した本。そして今、目の前にある、家内が借りてきた中丸薫さんの本がありました。これ以外は男性が書いた本ばかりだったのです。
ということは、男の目で見た社会、そしてその反響しか私の本歴にはないわけで、別に男性、女性が良い悪いの話ではなく、たまたま私の興味を引く物が男性の書いたものだったというだけで、趣味、好物、性癖から来たものだと思います。
どんなことに興味を持ったんだろうと、前にベーゴマを書いたときに思いました。と云うことで振り返ると、私の記憶で一番古い興味は、なんと箒で掃くことでした。
幼稚園に入る前に、赤い帽子を被った人形を背負って、なぜか部屋を片付けながら掃くのがお気に入りだったのです。たぶん、親のしていることを真似ていたのでしょう。これは今でも鮮明に覚えています。
幼稚園の年長になって龍圡町の下町に遊びに行くようになり、そこでベーゴマ遊びに出会うのですが、私にはまだ難しく、小学校に入ってからです。私たちがやり始める頃にはブームは去り、「やっていた」ぐらいの程度でした。
次がメンコでした。ボール紙で出来た洋服箱に入れて、学校から帰ると夢中でやっていました。1対1で闘うのや、何人かで何枚も出して買ったものが全部もらえるというのもありました。メンコの表面に、印刷されている絵のほとんどが武士の絵や映画のスター、それもやはり侍の写真で、多かったのが義経や弁慶、新撰組だったように思います。
この小学校の頃が、一番色々な遊びが流行ったときで、釘刺し。路面電車(都電)がまだ走っていた時代で、線路に5寸釘を寝かして電車に轢いてもらい、これをヤスリで形を整えて、使っていました。他には、剣玉や独楽も流行りました。
不思議なことに、ビー玉は私の周りでは流行りませんでした。小学校1年から3年までの遊びの記憶が、まるでないのです。遊びだけでなく、授業の記憶も、先生の名前すら出てきません。心に残るようなことがなかったのだと思います。
4年生からはがん箱、ゴムの野球ボールで遊ぶ“田”の字のコートの中央に、角度を変えて小さな四角を作り、各4つの陣地に1人ずつ、4人で、確かワンバウンドで他の陣地に入れて遊んでいたと思います。
この遊びも、熱中したのを良く覚えています。他のボール遊びでは、5回ぶつけやドッジボール、ゴロベースもありました。
三すくみの水雷・駆逐艦・戦艦や馬乗りも。そう、馬乗りは、男子も女子も一緒に遊んでいました。4~5年生ぐらいまでは、女子の方が体格が良いので、一緒でも何ら問題はなかったようです。
で、家内に女性は何をして遊んでいたの、と聞くと、ゴム縄跳び、やはり出てきたのが馬乗り、ドッジボール。それ以外、運動場での遊びですーっと出てきた遊びはなく、家内も私も文化系ではないので、ほぼこんなことに興味を持っていた小学生時代でした。
他には、プラモデルやモデルガンも。大人になったらプラモデル屋になるんだと、よく云っていたので、小学校の級友が初めて日本に帰ってきたときの21歳の誕生日に、プラモデルを5箱ほどプレゼントしてくれました。
彼らには、「私=プラモデル」と映っていたようです。しかし実際の私は、人の作ったものを貼り合わせる底の浅さに、熱は冷めてしまい、関心は自分で作る方に向かい、バルサ材で作って飛ばす、通称Uコンという、細いスティールワイヤーでエンジン付きの飛行機を操る方へと移っておりました。
ちょっと待ってください。
この文章を書いている今日は、2021年3月15日なのですが、2021東京オリンピックの森会長の話が出てきました。実は、この文章を書こうと思ったのは、巻頭に書いた、ある女性の書いた本に突き動かされたのです。
長くなるので、次回に!