《たまたま見ていました。ヴァンデグローブ。
知識のないうちは、ただ感心して単純に「すごいな」と思うばかりでしたが、その内容を知ると、まったく違った感動が出てきました。
スポーツは、決められたルールの中で行われますから「戦いであって戦いではない」ものです。登山やこのヨットレースのようなスポーツ?は、自然相手ですから、そこには「スポーツであってスポーツではない」戦い、つまり人が御することのできない未知の世界への挑戦があるように思います。
職人の世界には、管理されている世界にはない感性と相まって、極限への挑戦が存在します。
公務員、サラリーマンでも同じことが言えるのかもしれません。
仕事で名を残す人は、社会や時代のニーズに応える仕事を見つけ出して問題を解決し、世の中に新しい仕組みやサービスを提供できるような仕事をします。それが一つの規範となって、世の中に残っていくのです。
スンナリと受け入れられ、喜ばれていることだけが、良い仕事や価値のある仕事ではありません。今までにない新しい世界に挑戦した者だけが、名を残すことになるのです。
ヴァンデグローブ、すごいレースだと知りました。(A.Y)》
自分でもバカだな~と思いました。それはテレビでヨットレースをしていて勝手に思い込んでいたのです。あの有名なフランスの世界一周レース、ヴァンデグローヴです。
ヨットですから風力で船を進めるので、ヴァン・デ・グローヴ Vent des Globes vent(風)des(の)→de(の/前置詞)+les(不定冠詞)→desと書く。globesは、globe(世界)の複数形で、風での世界一周だと思って見ていました。
内容は、風との闘い。そしてその風が作る波との闘い、そのものでした。
NHK制作で日本人選手、白石康次郎さんを中心に、と云うよりも参加している選手からの映像で作り上げられた素晴らしい手に汗を握る番組でした。
風の力であの太いマストが折れてしまったり、帆が裂けてしまったりしていました。フランスの太平洋岸のLes Sables d’ lonne レ・サーブル・ドローヌを11月8日に出港。約3ヶ月のレースです。この世界一周のレースの前に、予選というか、出場資格獲得のレースがあり、その資格を得た、確か33名が、そのなかに女性が6人。そして生まれながら右手首がない男性が一人いました。
これからなんと無補給、無寄港の闘い。いかに風を掴むかです。出港してすぐに大西洋を南下するのですが、目の前に低気圧が、そう台風です。彼ら、彼女たちにとって大変危険で厄介な相手。しかし反面、大変おいしいものだそうです。台風につきもの。それは風。それも強風なのです。強風イコール船のスピードが上がる、です。ここが彼ら、彼女たちの腕の見せ所。
距離も短く、風速が早い中心部を取るのか。しかしここは大波が。反対に、台風の外側のもう少し穏やか、と云っても台風の風です。やはり速い。しかも距離的には長くなるわけです。白石氏は、ここで8日目に帆が破損し、9階建ての高さとマストを表現していましたが、登って帆を外し、確か4~5日かけて修理し、レースを続行しておられました。
私の師匠のことを前にも書きましたが、外洋に出る試験で嵐のなか、ヨットを寝かせて起こす試験を受けました。寄港するときのトイレの話を酔っ払ったときにジェスチャー付きで面白おかしく話してくれました。ズボンと下着を下ろし、船尾でロープに掴まり海に向け、お尻を出して用便をするのですが、下から波がお尻を突き上げ洗われるので出るものも出なかった、と話していました。
見ていてびっくりしたのが船。
そう、ヨットそのものが私の知っている、良くテレビなどの映像で見るものとは違い、なんと水中翼船なのです。世界三大ヨットレースのアメリカンズカップでは見たことがありますが、アメリカンズカップは何人もの乗組員で操船するのと違い、ヴァンデグローブは、たった一人で操船するのです。
彼ら、彼女たちはほとんど睡眠をとらずに、このなかを走破していくのです。そして南下して、赤道付近の無風地帯、いや海帯、こんな言葉は無いと思いますが、そう海域でした。すいません。
私も一度経験したことがあります。私の師匠をヨットの世界に導いた人M.ポルチエのヨットで師匠と乗ったときに、本当に不思議な体験でした。それはヨットの帆が風を受けて進んでいるときに帆の膨らみが一瞬でダランとなるのです。無風。海面が油を流したようにダランとなるのです。波もなく、ではなく、なんとなくうねっている要なのですが、私が経験したことがない静寂で、少し怖かったのを覚えています。
そして、猫の足跡が海面に現れるのです。本当に猫の足跡そっくりの紋様が判で押したようにヨットの周囲に広がるのです。これが風の興りはじめです。でも帆はまだダランとしています。
すなわちこの足跡のところの気圧が低いので、上から高い気圧に押された空気が、押された証拠として油を流したような海面に現れるのです。風はこの空気の束になって、という云い方が良いのかどうか分かりませんが、流れると風になるわけです。ですからこの足跡がすぐになくなると、海面はまた、もとの油面になります。このときも3~4回現れました。
M.ポルチエ曰く、何もできない。ただ待つだけで、この下には魚もいない、と云っておられました。帆がはためき始めると、本当に心もはためくのです。M.ポルチエがご夫婦で大西洋を渡ってアメリカに行くときに、丸一日半これを経験なさったそうです。
これこそ本当のお手上げ。
赤道の無風海域を通過し、さらに南下し、アフリカの喜望峰を通過し、更に南下、南極に近づくにつれて風の強風海域に入るのです。そこには、これ以上南下すると氷山海域とのぎりぎりのところを約1ヶ月かけて東へ向かうのです。
ここでヴァンデグローブ開始以来、初めての奇跡が起こったのです。なんと5艘が同じ海域に現れたのです。それも目視できる海域に。あの広い南極海に。5人の選手の興奮が、画面から伝わってきました。
この最も厳しい海域でSOSが入ったのです。以前のレースでも数人の死者のでている海域です。すごいのは、このトップグループはSOSを受信するとレースを止めて、救助に向かうのです。4艇がどこかの政府と違い、何が大事かを己で判断し、向かっていったのです。あの広い海を。そして無事1艇が漂流している救難艇に避難しているのを発見し、救助したのです。その喜びの声。皆が英雄でした。その後、フランス海軍が現場に急行し、救助していました。
その後、最後の難関、南米の岬、ホーン岬も通り抜け、あとはひたすら地球を北上。そして出港地、レ・サーブル・ドローヌへ。1位についたフランス人。しかし、その後2位に入港した同じくフランス人のヤニック・ヘスタン選手は、遭難者を発見、救助した人です。
大会の規程により、救助に要した時間は差し引かれ、結局、彼が1位になりました。
白石氏は16位で入港。数艇がリタイアしましたが、結果、皆が風と波を制したヒーローで終わった大会でした。
番組の最後にフランス語でVendee Globeと出てきました。あれ、Vent de Globe風の大会じゃないの?じゃないんだって。そのときは、Vendeeの意味が分からずに、翌日に辞書で調べてみても、スタンダードの仏和辞典には載っていないので、ラルースの仏仏辞典で調べてみました。すると、なんと、県の名前だったのです。Vendeeバンデ県だったのです。あのパリ・ダカールみたいに、バンデ県と世界だったのです。
なんだよ~。
ちなみにヤニック選手は、80日3時間44分46秒で地球一周を終えました。
大会記録は、74日3時間35分46秒だそうです。