《もう40年ほど前、初めて親知らずを抜いたときの注射は、見た瞬間、勘弁してくれと思ったほどの太さ。ところが、10年前にまた抜いてもらうときには、あれっと思うほど細いビヨンビヨンの針になっていて、注射だ!!という警戒心はあったのに、痛さをまったく感じませんでした。

技術の進歩はすごい!!けれど、注射に対する、あの何とも言えぬ感情はなくならないようです。

最近のテレビで何度か見た、注射が怖くて、悲壮な表情をして鳴く犬やネコなどの動物たち。たぶん、殺されることはないと分かってしているあの表情。あの反応は、どういうものなのだろうかと考えると、とても不思議に思います。

まさに“打たれる”気分。動物たちの気持ちはよく分かるが、あれは、本能的な反応なのか、何かの感情があるのか・・・。(A.Y)》

ここ2~3日、嫌な夢を見るのです。

それは第1回目のワクチン接種を受けに行った会場で、接種券を忘れて持っていないのです。大変嫌な場面なのですが、もっと嫌なのは、ここで目が覚めるので、1日が不安のなかから始まってしまうのです。しかし、ですよ。それも、あと1日。明日5月26日11時30分に打てるので、ようやく終わると思います。

昨年の6月に年2回の定期検診に行っている歯医者さん。もう何回もこのエッセーのなかに登場していただいている先生に治療していただいているときに、今朝も見たワクチンの夢を思い出して、心のなかで叫びました。「絶対に忘れないぞ!だから打って」と。で、そのときフッと思いました。

なんで注射をすることを“打つ”と云うんだろうと。で、考えました。

治療中に考えているうちに、だんだん頭のなかがこんがらがって来てしまいました。

まず考えたのは、“打つ”と云うから釘を打つように、“打つ”は動作だから動詞で。それと同時に、このとき日本語では考えずに、久し振りにフランス語で考えました。日本語で考えると訳してしまうので、言語として考えるときは役立ちませんから。

フランス語では注射器のことをPiqureピキュール、またはInjectionアンジュクションと云い、前者はPiquerピケ刺すという動詞から、刺す器具→注射器で。

ここまでで治療は終わり。

今、店の休憩時間、午後2時10分です。

それでInjectionも注射器とは云っているものの、あまり使われていません。フランスにいるときに読んだ探偵小説に出てきて、すごく違和感を覚えたので、辞典で調べたのと、翌日、ドミニック達に聞くと「確かに、云うけれど、あまり使わない。どちらかと云うと車のアンジェクションみたいに使うよ」だったのを良く覚えていました。

今、辞典を開いて見ています。

Injection n,s, ①(液の)注入、(医)注射、(機)給水、噴射、condensation par injection(機)噴射復水。/pompe a injection注射式ポンプ(b)(木材の)防腐剤注入(c)(建)セメント注入(d)充血(e)(地質)貫入、②注射液、(特に)灌腸液(剤)。

で、フランスの辞典ラルースの方は、Injection n,s, (lat,injecto,actiont de lancer)《ラテン語、injecto、投げる・射るの動作》、「Action de que l’on injecte《液体による注入》」、「Action d’introductin sous pression《圧力による注入の動作》、Liquide que l’on injecte《液体による注入》」、Introductin,sous pression de liquids dans les cavites naturelles au dans les tissus organiques vivant sou morts《挿入、液体による空洞の注入、生・死、生物の組織への注入》、Injection de morphine《モルフィネ注射》、Moteur d’injection,moteur a’ combustion interne dans lequel le carburant est injecte directement dans le cylindes,sans l’intermediaire d’un carburateur《噴射モニター、内燃機無気化器直接噴射モーター》となっていました。

今、令和3年5月25日午後2時43分。お米屋さんと酒屋さんの集金がありました。

歯医者さんで考えたとき、Piqureピキュール(注射器)は動詞の刺すの方が先にあって、刺す道具=注射器になったと考えたのです。Injectionアンジェクションも出てきましたが、そこで治療が終わっていたので今になった訳です。

どうもアンジェクションも同じようにラテン語の投げる、射るから来ているので、動作、動詞から器具になっていったようです。

では、なぜ日本語のときに注射すると云うのに、普段は注射を打つと云うのでしょうか?この注射すると、打つは、能動態で、注射して/もらう、打って/もらうだと受動態になるわけです。

どちらも成り立つので、関係はない、で考えていたときに、遠く窓の外を見ていたときに、何か遠い昔に見たような場面が。それは針だけを先に刺してからポンプ、すなわち注入器を付けていたような場面が浮かんできました。この針を射すのが打つようにも見えるので、しかし針の中の空気はどうするんだよという声が聞こえてきます。どうなんだろう。またこんがらがってしまいました。

 誰か助けて~、でもよく考えるとフランス語のピケ、刺すからピキュールと同じように、あっ思い出しました。寅さんの映画、北海道で三船敏郎扮する獣医が牧場で馬に注射する場面が。確かこれだったように思います。そうそう、これで少し納得。でもちゃんとした意味があること思いますが、大変お騒がせしました。

しかし日本語って面白いです。この面白いもおもしろい。当て字なのかも知れませんが、どうして面が白いの、おもてがしろいが、おもしろい。

こんなこともときどき、考えて見て下さい。おもしろいですよ。午後3時25分。 PS.一晩寝たら、ちょっと自信がなくなりました。三船敏郎さんのところ。間違いならば、ごめんなさい。

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