自分の役割を認識するというと、堅苦しく感じてしまう人がいるかも知れませんが、ただ単に、自分が意義を感じることや好きなことに集中することが大切です。
自分が選択した“自分にしかできない”好きなことが、人のお役に立ち、社会の役に立つものであれば、それに共鳴して動く人々現れて、増えてきます。“自分にしかできない=他の人にはできない”ことなのだから、好むと好まざるとに関わらず、自然にリーダーに役割を果たすようになります。
自分が選択した“自分にしかできない”好きなことが、直接的に、人のお役に立ち、組織に影響を与えるようなものではなく、精神的に感化を与えるようなものであったり、“自分にしかできない=独創的な”ものであったりしたならば、それは芸術家になれば良いのです。
もちろん、人間は人との関わり合いのなかでしか生きられない社会的な生き物ですから、社会的な役割がまったく存在しないわけではありませんし、必ずどこかで誰かと繋がっていて、人間関係を意識しなくてはなりません。
その意識は、生きている世界の広さに応じて、少しずつ形成されていけば良いのであって、無理矢理に広げることはありません。嫌であっても、不得手であっても、人間関係を意識したときには、間違いなく、世界は広がります。
この意識の拡大や転換は、自分自身の気付きでしか生まれないもので、他から与えられるのもではありません。
時々、「これからは人材育成が重要だ。人材育成に力を入れたい」と語る上司がいます。
仕事の必要性に応じて職務を果たすために必要な知識や技能を付与するというのであれば、それは仕事の成果を通じて、成功体験を与えるための職能教育です。目的は、あくまで “目に見える成果”にあります。
人材育成は、ただ単に、知識や技能を与えることとは異なり、資質の向上が伴わなくてはなりません。これは、自分の所属する組織の目的や置かれた社会的な意義を理解させ、自分の置かれた立場(職務)を分析し、果たすべき役割を自覚させることです。
それを通じて、組織内における将来の自分の姿を思い描かせるのです。
組織目的達成のための教育や研修とは区別して考えるべきでしょう。実態として、完全に区別することは難しいのですが、考え方は、明確に区分すべきです。
(このような役割認識を考えさせることは、体験することでしか理解できませんから、さらに具体的なことを知りたい方には、セミナー等の機会があればお伝えしましょう)。
いずれにしても、“人材育成が必要だ”というニーズは十分に理解できますが、中途半端に人材育成を考えるよりは、目の前の目標達成を通じて、成功体験を植え付けていくことのほうが重要です。
自分のありったけの智恵を働かせた計画を実行する経験を通じて、立派な成果を得させることが上司たる者のできる精一杯の教育であり、求められていることです。
成功体験を継続していけば、自然と自分自身の上位職への意識が出てくるものです。あるいは、部下を持てば、人は部下によって育てられるのです。
自分の指導する組織が思った通りの成果を上げられないのは、組織を率いる者、リーダーの責任であり、部下の責任ではありません。
どうやったら目の前の問題を解決できるのか、仕事が上手くこなせて成果を上げられるのか、仕事を通じて充実感が得られるのか・・・・こういったことに答えて欲しいというのが部下のニーズです。
上司は部下のニーズに応えなくてはなりません。
部下に成功体験を与えることがリーダーに与えられている役割で、仕事の成果です。
所望の成果が上がっている人には、さらに上位の目標を与え、新たなチャレンジをさせて、新しい充実感を与えるべきです。
そして、より人間関係の心地よい職場づくりを目指すべきです。
それを「部下を教育して、人材育成しなければいけない」などと寝ぼけたことを言うのは、無責任も甚だしいことだと思いますし、少なくとも私自身を振り返れば、どんなに仕事をしても、常に目の前に新しい課題が山積していて、そんなことを部下に求めるほど、暇ではありませんでした。
自分の仕事が成功して、チームとして立派な成果が得られるかどうかさえ分からないときに、人材育成を目的として指導するなどということは、実におこがましいことだと思います。