大正14(1925)年に初版発行された「家庭における 実際的看護の秘訣」(築田多吉著、研数広文館)という「赤本」があります。大学受験対策用の赤本ではありません。

家庭療法・物理療法の研究をまとめた厚さ6cmの辞書のような書物で、昭和30年頃には千数百刷が印刷されていて“家庭に一冊”必ずあると云われるほどに普及していたベストセラー。「これ見つけた。意外と役立つんだよ」と言って、昭和62年に父が買ってきたものが手元にあります。

20年ほど前、医者仲間からは“アイツは天才だ”と言われるほど腕が良くかなり有名だという友人の医者が、若い頃、離島で医療に当たっていたという経験談をしてくれました。かねてから彼の知人からは、「若いときに離島で診た患者が、命を救ってもらったというので今でもゾロゾロ御礼に訪ねてくるんだ」と聞いていました。

「先生、小児科でしょう?自分の専門分野以外の患者が来たときにはどうするんですか?」と質問しました。

「それが問題なんだよ。できないとは言えない。最初はそう言ったんだが“お前は医者だろう”とボロクソに言われてね。」

「ボロクソに言われるだけなら放っておくんだが、命がかかっていたり、本当に苦しんでいたり、取り返しがつかないことになったりしそうなときには、放っておくわけにもいかない。医者って言っても、専門外は素人みたいなものだからな。」

「医者が専門分野外の治療をしたらすぐに免許停止だが、そんなことも言っていられない。」

「なんとかしてやりたいと、必死になっていろいろ自分で研究して、漢方から何から何まですべて試してみたが、赤本って知ってるか?」

「今は医療が進歩したから当たっていないところもあるんだが、あれが一番役立ったよ。今、あんなことをしていたら掴まって、すぐ医者を首になるが、でもやっぱりあれは家庭では役に立つ。これも言えないけどな。」

「先生、本当は今もその本を見ながら治療してるんじゃないの?」なんて冗談を言っていたのですが、この話を聞いて、親父の書棚から赤本を引っ張り出して来たのでした。読んでみると面白い。人の生から死から、心の安寧まで、実に幅広い視点で書いてあるのです。

1948年に世界保健機構(WHO)がウェルネス(Wellness)について、病気の治療を越え、予防と健康促進に重きをおいて、病気の改善、心のケア、社会参加など7つの視点から“健康になるための方法”を提案した、それよりも深く、人間について述べています。

まさに日本人のウェルネスを表したような、人の生き方につながるポジティブな考え方が書かれていて、誰もが納得し共感したからこそ、あれだけ普及したのだろうと思います。

興味深い考え方のところを引用します。(言葉遣いの一部修正と太字強調は吉田)

「多くの長寿の文献はビタミンやミネラルその他の養素を腹に詰め込むことに重きをおき、これを消化吸収して身につける方法を教えておらぬ。腹に入れても吸収しなければカロリーも養素もご破算だ

人生7~80歳以上に生き延びることのできない人は、天災の外は大抵皆病死であって、これは個人の病気に対する予防法を知らないからだ。それには薬よりも体内の抵抗力を強めることが一番大切で、この点を軽視しては長寿法は成立せぬ。」

「本来長寿法はいつ来るか分からない『死を遅らせる』のが目的であるから、その死の使いの来週を追い返すだけの防御工作ができておらないと安心しておられない。その防御工作が長寿法の真髄であるのだが、その死の迎えの死者が人間には見えないから実行力が起こらないのだ。それで程度の高い長寿の理論よりも、誰でもできる範囲内で無智や不注意のために当然生き延びることのできる者がドシドシ死地に飛び込んで行く多くの人を救いたい。それは難しいことでも何でもない。病気の発火点でこれを予防し食い止めることだ。小火のときに消し止めたら大火は起こるものではない。

自然死というものはロウソクがなくなって自然に火が消えるのと同様で、これは80歳以上にならぬと来ぬものではない。それ以前に死するのは皆不自然な死で、この不自然死には必ず病気というやつが起こらないと来るものではない。だから重い病気さえ起こらなければ急に死するものではない。」

また、『人生の慰安と死の覚悟』と言う項があって、「運命の諦観と苦よりの離脱」について書いているのですが、人の生き方を説いているように思います。

人の一生中の出来事は成功も失敗も病気も死も皆ことごとく運命の支配を受け、生まれてから死するまでのプログラムは生まれたときにチャント出来上がっておってその日程は時間表の通り日々の実行に移されて帳消ししつつ墳墓に向かって進みつつあるのであります。だから不幸や病気や死を恐れて逃げ回っても来るものは必ず来る。明日は愚か今すぐにグラグラと地震が起こって下敷きになるかも判らない。一時、一分後のことも安心のできないのが人生であります。

それはもし宿命論でそんなことなら吾々努力も修養も一切不要で自然任せで寝ておっても良いではないかと言われましょうが、不養生をすれば病気になるし働かねば食えないし、努力しないと出世ができないようにこの世界ができておるのだから運命の絆は自然、人を鞭撻し克己し、成功し、長命するように仕組まれておるのであります。だから重病に罹って生死の境に臨んでも助かる助からないをむやみに心配する必要はない。百方つきても因縁があれば何等かの大きな力が飛んできて助けてくれるものです。それがなかったら因縁がつきたので跳んでも跳ねても自分の力では如何ともすることはできないのだから宿命とあきらめて一切を神仏にお任せして感謝して逝くがよい。(略)

今日まで、活かしていただいたのは有り難い儲けモノだと思うて、感謝して終わるべきものであります。私は長い間の病院の生活中多くの臨終者を見送ってきたが往生際の悪い人は皆この運命の『受け取り方』を知らないから諦めが悪いのであります。(略)

平凡のようだが諦観の真髄で人間は最善をつくして後は明日のことを考えず一切を天に任せてこそ始めて苦より離れて安心立命することができるのであります。」

運命をあきらめるのではなく、最善の努力をして、精一杯に生きるように説いています。

人間の持って生まれた弱い素質も、養生法の努力をすれば延命することができるのだ、素質的に色々な黒星を持っている人が多いので、それを酷くならぬうちに退治し、予防するということが長寿の秘訣なのだと、医者は患者の抵抗力を引き出す手伝いをするだけで、あくまで本人が自分の力を引き出す努力を主体に、大切さを述べています。

このような民間療法と医学研究の成果を取り入れながら、自らの努力で運命を開拓していくことができる実際的な方法を説く、というポジティブな考え方があって、千数百刷を重ねたのだろうと思います。

災害対処に通じるものがありますし、人の生き方として共感するものがあります。