日本の歴史は、古事記や日本書紀の神話からはじまりますが、それを読むと、古代の日本人が災害をどのようにとらえていたのかを知ることができます。

大正から昭和初期に活躍した物理学者の寺田寅彦も、「日本の神話には、現代は地球物理学として学ばれている多くの自然現象や日本列島の誕生の姿が描かれている」と述べているのですが、私は、日本神話が、大自然の営みや自然界のエネルギーの循環をあらわした物語だと思っています。

日本の神話だけではなく、ギリシャ神話、北欧神話、インドに伝わる話などを読んでみても、多くの神話は自然現象のなかに存在する自分たちの生命の在り方やあるべき姿を感じ取って、物語にしたのだろうと想像できます。

特に、日本の神話には、壮大で変化に富んだストーリー、幻想的で詳細な描写など抜群の劇場感や面白さがあり、さまざまに形を変えて、昔話や小説やマンガなどに描かれています。

天地創造では、まず宇宙(天)が出来て、次いで地球(地)が生まれ、できたばかりの地上は、土とは言えぬほど柔らかくドロドロに溶けたなかに、まるで「椀に浮かんだ獅子の脂身」のように漂っていたという表現は、地球の成り立ちの様子を語っているように思われます。

イザナギ尊が、国土と山川草木を生んだのちに「天下の主を生まなくては」というので、最初に、左目から生まれたのが日の神のアマテラス大神で、昼の神。次に、右目から生まれたのが月の神で、夜を司るツクヨミ尊。そして三番目に生まれたのがスサノオ尊で、地上の世界を治めることになりました。

このスサノオ尊は、それでいて、いつも母親のイザナミが恋しいと慟哭し(泣き叫び)、海や川の水を吸い上げて干し上がらせて、青山、樹木を枯らし、涙として流して水害を起こした、その激しさは、神が持って生まれた性格(さが)だというのですが、海や川の水が蒸発して、雲を起こし、雷鳴を轟かせて雨が降るという、大気の循環によって成り立つすべての自然現象、地上における天候気象を司る神様の所業に相応しい表現です。

また、地面を踏みならして歩いて地震を起こし、田の畦を壊したりする様もまた、地震などの自然災害を現しているように思います。

それだけではなく、神殿に糞をしたり、機屋に皮を剥いだ馬を投げ込んで機織り女を殺したりするなど乱暴狼藉の限りを尽くし、食べ物を差し出したオオゲツヒメを斬り殺してしまうような乱暴者で、自然災害をもたらすばかりではなく、戦いを含んで、人為災害までを司る、荒ぶる神として描かれています。

その一方で、斬り殺されたオオゲツヒメから生まれたのは私たちが主食としている穀物でありました。

もっともオオゲツヒメは、スサノオ尊から食べ物を求められたとき、口から吐き出したものと尻から出したものを差し出したのですから、品がない、俺をナメテルのかと怒ったのも無理はないとは思いますが、スサノオ尊がオオゲツヒメを斬り殺したお陰で、人間は、五穀という恵みを授かったという話です。

余談になりましたが、出雲で八岐大蛇を退治して住民を助けたのもスサノオ尊でしたし、日本で最初に和歌を詠んだのもスサノオ尊だとされています。

このように地上に現れたスサノオ尊は、災害をもたらすばかりではなく、大自然へおそれを抱かせただけではなく、同時に、恵みを与え、文化的な豊かさをもたらす有り難い存在として、極めて身近で親しみのある、人間臭さのある存在、スーパーヒーローとして描かれています。

そして、天の国から遠い根の国に追いやられて地上の神になったスサノオ尊の御神徳は、水難、火難、病難除去、五穀豊穣などに及び、大変有り難い存在として、祀られています。

人力の及ばない恐れ多い存在で、畏敬の念を持って接すると同時に、多くの恵みを与えてくれる有り難い身近な存在であるという、スサノオ尊に対する観念が,日本人の自然に対する見方であり、日本人の災害観の原点として表されていると思います。