■地域の特性
人口約7.6万人。都心から約45km。茨城県南部に位置する東京通勤圏。
古代の龍ケ崎は毛野川(鬼怒川)・蚕飼川(小貝川)・常陸川などの河川が合流した葦原で、竜巻が発生し、猛威をふるうことがしばしばあった。川の水を巻き上げて天に届く竜巻の様子が「龍の昇天」を思わせ、「龍が立つ崎」=龍ケ崎となった、とも伝えられている。(『龍ケ崎市史』昭和34年(1959年)編纂)
龍ヶ崎市の市域(面積 78km2)は,北部の台地(稲敷台地)と南部の低地(小貝川・利根川低地)とからなり、稲敷台地は,多くの谷が刻まれている。谷底の大部分は谷津田で、沖積層を成す。台地面の標高は15~25m で、主として十数万年以前に形成された砂質層の表面に関東ローム層などを載せており、総じて最も安全な地形に分類される。
災害は少ない。
■内容
Q 10年間の長期にわたる龍ケ崎市でのお仕事、お疲れ様でした。龍ケ崎市にお入りになったきっかけと、採用の勤務形態は、どのようなものだったのかを教えていただけますか。
A 東日本大震災の1年後に入ったのですが、龍ケ崎市は震度5強の地震に襲われて、その対応にかなり混乱したことから、自衛隊のOBを採用したいということで、採用していただきました。
2年任期を5回継続して10年勤務させていただき、今年65歳で退職となりました。
【東日本大震災の被害は、死者1人、負傷者5人、家屋等への被害全壊1棟、半壊78棟、一部損壊 7,900棟超(平成24年11月末現在)。
ライフラインでは上水道送水管の破損による断水など、経験したことのない広地域の被害で、情報の収集,道路・小中学校施設などの公共施設の被害調査と応急復旧,避難所の開設,がれきやごみの処理、市民からの問合せなど,その対応に追われた。】
〔『東日本大震災記録』平成24年12月龍ケ崎市から〕
Q 全国の自治体を見ても、自衛隊OBで、早く退職される方がいるという話はよく耳にしますが、10年間という長期勤務されたのは珍しいと思います。長期勤務することになった、何か秘訣のようなものがあれば教えて頂けますか(笑)。
A 特に秘訣というものはありませんが、私の性格に合っていたということかもしれません。
自衛隊OBを採用したいということで乞われて龍ケ崎市に来させて頂きましたから、採用して頂いて有り難いという、感謝の気持ちしかありませんでした。
中山一生市長がとても真摯な方で、お父様が防衛庁長官をなさっていたということもあったのでしょうか。自衛隊OBが来たというので、良くコミュニケーションをとることができました。職員も皆、フレンドリーで、スムーズに飛び込んでいくことができました。
私は、自分が龍ケ崎市民になることが第一条件だと思いました。
陸上自衛隊で「中隊は、全員が自分の家族だ」と言っていたように「市役所の職員が家族だ」という気持ちで勤務させていただきました。今も、感謝の気持ちしかありません。
Q 勤務間を振り返って、災害やトピックがあれば、教えていただけますか。
A 平成25年の台風26号の豪雨災害があります。
あのときは、伊豆大島を直撃して大被害を出し、龍ケ崎市では、総雨量260mm、時間降雨量40mm以上の大雨が降りました。
龍ケ崎市は概ね平坦な地形ですがそれでも30カ所を土砂災害警戒区域に指定していて、そのうち約10カ所で被害が発生しました。
警戒本部は立ち上げましたが、避難勧告は出しませんでした。龍ケ崎市には、避難勧告を出した経験もありませんでした。
幸いにして、被害は一部損壊だけですみましたが、中山市長と一緒に現場視察をして、反省するところがたくさんありました。
気象台との連携を緊密にする。
地域防災計画で避難勧告を出す雨量の数値基準を明らかにしておく。
危ないと思ったら、すぐに勧告を出して動けるように、市役所職員の認識を統一する。
そのために、状況の推移をウォッチしながら適時に判断する・・・などです。
その教訓が生きたのが、令和元年の台風19号のときでした。
台風により利根川上流で大雨が降り、土砂災害警戒情報に基づいて、すぐに避難勧告を出しました。昼の段階で決心し、早期に発令することができたので安心でした。
避難勧告を出すときには、避難所班などを動かさなくてはいけませんから、全庁的に対処しなくてはなりませんでした。
Q 避難勧告を早期に出すというのは、口で言うのは簡単ですが、職員全員を動かすのは、やはり大変だったでしょう。何人ぐらいのチームで仕事をなさっているのですか。また、市の職員から、不満や不協和音は出ませんでしたか。
A 市長直属の組織で、私以下10人います。
流石に、私に直接不満を言ってくる者はいませんでしたが、課長補佐や係長のところには、いろいろ言ってきていたようです。
Q 災害対策本部などの指揮所の運営は、如何でしたか。苦労されたり、工夫されたりしたことがあれば教えていただけませんか。
A 市長との関係では、私は幕僚の役割を果たさなくてはなりません。
工夫したことと言えば、災害対策本部会議を開く前段階で、情報共有会議を開催し、職員皆が情報を共有できるようにしました。
つくば市で竜巻災害があったときに支援に行って学んだことですが、災害対策本部会議をオープンスペースで誰でも聞ける状態で、会議を開催していたんです。
これが役所内で情報共有するのにとても良いやり方だと思いましたので、それを真似て、災害対策本部会議を開く前に、エレベーターホールのオープンスペースを使って情報共有会議を開催し、誰でも聞けるようにしました。
市役所の職員は、能力が高いので、いきなり密室で災害対策本部会議を開いて指示を出すよりも、事前に状況をよく理解させていれば、自分で考えて動いてくれるようになります。
Q 情報共有会議のメンバーはどのような方々で、皆さん、聞きに来ていましたか。
A メンバーは、災害対策本部会議や庁議と同じメンバーで、市長以下、副市長、教育長、部長、課長などです。普段、一般職員が顔を見ることもない人たちで、多くの職員が、興味をもって会議を聞きに来ていました。
定着するまで、4~5年かかりましたが、役所内で情報共有するのに、とても良い方法だと思っています。
Q 最近、総務省や他自治体から支援要員が派遣されるシステムがありますが、県や国の出先機関との情報共有についてはいかがですか。
A 特に、気象台と密接に連携して、効率的な活動ができるようになりました。
平成28年、気象庁が、大雨や洪水が予想される出水期の4~6ヶ月間、気象予報士を市町村に配置するという、気象防災アドバイザー制度の試行を全国6カ所で開始し、龍ケ崎市もそのうちの一つに選ばれました。
平成27年に鬼怒川が決壊したことが配置された理由の一つです。
現在は、全国で2~30人、気象庁OBや気象予報士に嘱託して、全国の自治体に配置するようになっている制度です。
地方自治体で契約できますので、龍ケ崎市では、平常時は、職員の能力向上を支援したり、継続的に気象状況をウォッチして災害対応部局の支援をしたり、さまざまな仕事をお願いしていました。市の職員だけで継続的に気象情報を把握するのは難しいので、専門家にアドバイスをいただけるようになって、大変役立ちました。
Q 国交省から県に、防災情報ネットワークで流されている河川などの情報共有や地元の河川事務所との連携はどのようにされていましたか。
A 県とは連携をとって、防災情報ネットワークからの情報を継続的にもらっています。
最近は、色々な情報が入ってくるので、情報過多の傾向にありますが、災害対応の判断に直接役立つ情報としては、気象台の気象情報、河川事務所とのホットラインが主体になっていました。
Q 龍ケ崎市から、被災した他自治体に派遣するための「支援チーム」の準備態勢については、どのようになさっているのでしょうか。
A 茨城県はマニュアルで、県として44市町村に「支援チーム」を派遣するように指定しています。
龍ケ崎市は、指揮統制チーム、応急危険度判定や罹災証明発出などの機能別の業務の支援チームを派遣できるように準備しています。
Q どこの自治体でも共通している課題は、防災に関する人材育成ですが、龍ケ崎市では、どのようなことに配慮されていたのでしょうか。施策があれば教えてください。
A 市役所ができる「公助」には限界があります。職員を教育しようとしても、研修に摂れる時間は、一回当り、長くても半日しかとれません。
したがって、職員全員が情報を共有することで、意識を高めるように配慮していました。
市役所は、防災意識を市民に啓発、普及して、共助、自助を普及、強化することが大事です。市役所職員には、住民の「ゆりかごから墓場までのサービスを提供する」精神が求められます。
出前講座を用意し、土日も含んで、実施回数を増やし、防災意識の普及、地域リーダー育成に努めました。地域リーダーとなっていただく防災士連絡会には、市の人口8万人に対して、250~260人が登録されています。
Q この10年間は、色々なことがあったと思いますが、その他に、何か印象に残っていることはありませんか。
A コロナ禍が続いていますが、5~6年前に強毒性新型インフルエンザ対応マニュアル作りに着手した際、マニュアルを検証するために、たつのこアリーナで集団ワクチン接種の訓練を行いました。県内で初めてでした。
このため、コロナ・ワクチンの集団接種を始めるときには、市の医師会や保健所の意識が高くて、当たり前のように円滑に実施することができました。
龍ケ崎市は「防災・減災・日本一」を掲げていて、弾道ミサイル対処訓練も、全国で8番目に実施しました。
そういう日頃からの取り組みが、市役所の災害対処への高い意識と一体感を生んでいると思います。
Q 最後に、10年間勤務したご経験から、これから地方自治体で働く後輩の皆さんに一言、アドバイスをお願いします。
A そうですね。まず、「郷に入らば郷に従え」と言われるように、採用していただいた役所に、柔軟に対応することだと思います。
新しい職場で防災担当者として勤務するのは、中隊長になるようなもので、裸で隊員のなかに飛び込んでいって、一緒に酒を飲んで理解し合って、全人格を発揮して仕事をする気持ちが大切です。
職員皆が見ています。
私は、龍ケ崎市の市民になろうと決めました。
やはり一番大切なことは、自衛官と同じで、地域の役に立とうという使命感だと思います。自衛隊で学んだことはすべて役に立ち、無駄なことは一つもありませんでした。
市役所を退職しましたが、これからも龍ケ崎市民として、何かお役に立つことをしていきたいと思っています。
【後記】
「龍ケ崎市民になる」という気持ちが伝わってくる、人柄が表れて、とても温かさを感じるお話でした。
人を動かし、施策を根付かせるためには、具体的に指示をして、細やかな気配りが行き届いたフォローをすることが必要なのだと、改めて思いました。
10年間の勤務、お疲れ様でした。
以上