1 地域の安全とお社

日本各地には、地域で起きた大災害の歴史について語られている神社が散在する。

その地域で起きた災害や災難に際して、神意が働いて、如何に地域や人々の安全を守ることができたか、どのようなご利益があったか、神仏の有難さが語られている。

客観的に見れば「安全な場所を洗濯して立地したのだ」ということになるのだが、今のように災害に関する情報がなかった時代、その場所が安全であるか、安全でないかは、災害が起きた結果でしか分からない。

もちろん、そこが危ない場所かどうかということぐらいは直感で分かっただろうし、そんな危険な場所に神さまを祀るわけにはいかないと考えるのは道理が通る。

例えば、津波の災害が起こりそうな危ない地域だから、神社を建てて神さまをお祀りして安全を祈願しようというときに、まさか、海に面した海岸の低い場所に社を建てて「守ってください」などと理不尽なことはお願いできない。

やはり、住民全員が安全でありますようにと、地域全体を鳥瞰して見渡す場所を選んで祈願すると言うのが、自然な発想であろう。

あるいは、何らか危険なことが起きるかもしれないというので、止むに止まれず、ぎりぎりの線で安全を祈願したことはあっただろうが、それは自然に淘汰され、より安全な場所に移転して行く。恐らく、住民たちは「こんな危険な場所に神さまをお祀りして申し訳なかった」と発想するのだ。

そうして、地域の人々が安全を願う心と神さまを崇敬する心が、神意と一致して、より安全でより安心が得られる場所に社が建てられるようになったのではないか。

危ないと分かっていても、人は生活して生きることを優先する。

神さまのましますところはより安全を優先する。できるだけ、小高いくて地盤の固い、天により近い場所を選ぶのだ。

2 由緒

安乗神社は、三重県志摩市阿児町安乗にある安乗崎灯台の近くにある。

主神は、武運の神様である応神天皇と神功皇后。明治末期に村内11社の御祭神を集めてお祀りするようになった。

 1569年に志摩の国を拝領した九鬼嘉隆が、文禄の役(1592年~1593年)で、多数の船を率いて出征した折には、畔乗(あのり)沖で風が止んで船団の航行が不能となり「この地に由緒ある神ありて我らを止めさせ給いし」として、九鬼公以下は、船から降りて八幡神社(安乗神社)に参拝しました。そして、彼らが船に帰るとたちまち風が吹いて、安全な航海を再開することができ、戦功をあげて凱旋しました。九鬼公は、これに感謝して村民の求めた社殿での手踊り(現在は、安乗人形芝居となっている)を許可するとともに、村名を「畔乗」から「安乗」に改めたと伝えられている。

このようなことから、当社の八幡神神徳は、勝負ごとにとどまらず、交通安全の祈願、さらに合祀神の御神徳である縁結び、子孫繁栄、厄除け、海女や漁師の安全、火防等々の多方面に及び、厚く崇敬されている。

3 津波伝承

ここには津波から村を守った安乗の神様の伝承がある。

『安政元年11月4日の大津波のとき、八幡神社(安乗神社)の社頭に白衣の御姿が現われ、御幣を左右に振らせ給いしに、大津内は二つに割れて怒涛の勢いは減殺され、被害は少なかった。この光景は、隣村の的矢村においても拝されたと』

この伝承にあるような不可思議な有難い出来事が、本当にあったのか、なかったのかは知るところではないが、先に述べたような神さまを祀る人々の考えや災害の歴史のなかで残って行った結果とあいまって、このような伝承が残されたのは間違いない。

そして今、社務所では、この伝承と共に、地震への備えを説く資料を配布している。

江戸時代、志摩半島に津波被害を生じさせた三大地震

1 慶長9年12月16日(1605年2月3日)に発生した慶長地震(M7.9、震源地 詳細不明、津波主体の地震)

2 宝永4年10月4(1707年10月28日)、午後2時前に発生した宝永地震(M8.5、震源地 潮岬南方、長時間の揺れと津波)

3 冒頭に記した嘉永7年11月4日(1854年12月23日)午前9時過ぎに発生した安政東海地震(M8.4、震源地 東海道沖、揺れと津波の他、各地で火災発生)

その後、昭和19年12月の東南海地震、昭和35年5月チリ地震でも津波被害を受けるなど天災はいつ襲ってくるか分かりません。

皆さま、地震や津波の備えは大丈夫でしょうか。

このような地道な活動が、地域における神社への崇敬と信仰につながっていったのではないかと思うのです。

4 神社と防災

どこの神社でも多くの神々が祀られ、多種多様なご利益があるとされている。

実は、神社というものは、災害-安全、死-生、不安-安心、病-健康、負け-勝ち、衰退-繁栄、苦労―安寧・・・人間の本性、外界の自然から生じてくる不安要因によるマイナス思考をプラス思考に変換する転換装置なのだ。

それは古代から神社に伝えられている、御参りの作法に現れている。

神社では、願いごとをしてはいけない。

神社は、自分はこうしたい、こうやっていきます、神さまの前でと誓いを述べる場だ。

その誓いを祝詞にしたためて、神さまに奏上するのが宮司の役目だ。

その誓いが実現したら、また神社に来て、神さまに御礼を申し伝える。

神官は、メッセンジャーとして神界と現世を繋ぐ役割をしている。

「天は自ら助くる者を助く」と言うが、日本の神社は、「決意をもって生きていくこと」を教え、本人の成長を促しているのだ。

決意をもって生きていかなければ、人生はうまくいかないのだ、生きていけないのだと、気付きの場を与えてくれているような気がする。

そう思うと、ますます有難いことだと思えてくるのだが、いかがだろうか。