画像提供:東北地方整備局震災伝承館

災害の教訓をどう受け取るのかは、受け取る人の「生き方」に関わってくる。

外的な要因で、被害を受けたのだと考える人は、被害をおこした災害に着目し、被害を受けた原因の分析と対策に集中する。

対策しさえすれば、自分の生活や生き方を継続できるのではないかと考えるので、何とかなるに違いないと、自分の生き方を貫き通すために、外部要因を変えることによって対策しようとする。

外部環境の改善に力を入れ、新しい技術を取り入れようとする。

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「抗いようがない災害だ」と考えた人たちは、外的要因に対してはある種の「諦め」をもってとらえ、自分ができることだけに集中して改善しようとする。外部環境を受け入れるために、自分自身を変革しようとする。

内省的な受け取り方をするので、被害を被ったのは自分なのだから、自分がしてきたことに問題はなかったのかを真剣に考える。

自分自身の生き方や考え方を見直し、行動を改善することによって、できるだけ外部環境に適応できる範囲を模索する。

そして、やむを得ないときには「負ける」「逃げる」「避ける」ことを受け入れる。

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西洋医学と東洋医学の違いのようなもので、どちらが良いということのようなもはない。

精神的な柔軟性を養うとか、ソフト面での改善になると内省的な者に強みがあるように思われるが、インフラなどの社会資本整備や外科治療となると、外から骨格を作り直す発想でなければ手が付けられない。しかし作り直した骨格をどう使っていくかとなると、ソフト面での改善やそれを扱う人間の適応力やリハビリゼーションが重要になってくる。

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やはり一長一短あるということだ。

生きている環境が皆違っているのだから、改善できることもあれば改善できないこともある。目に見えて対策の効果が分かることもあれば、対策の効果が見えないこともあるし、ないこともある。

一番の問題は、私たちが主体性をもって対策を考え、これから起こること(災害)と結果(被害)を受け入れられるかどうかだ。

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