東日本大震災の1年前に起きたチリ地震は、人的な被害はありませんでしたが、宮城県沖地震への対処に心を砕いていた、宮城県の自衛隊、県、防災関係機関が大規模震災対処の連携を深めることができた、大変意義のあるものでした。
1 概要
震源は、チリ中部海岸
震度5、マグニチュード8.8(海溝型地震)
津波は、チリで最大30m(日本では、岩手県が最大で1m20㎝)
死者は、チリで802人(日本では、人的被害なし)
「2010年2月27日15時34分頃にチリ中部沿岸で発生した地震について」
(気象庁報道発表資料)
2 特徴
- 日本時間で2010年2月27日3時34分発生
- 1960年に起きた史上最大のチリ地震の約半分の規模
- 気象庁は、当初、注意報あるいは津波警報(最大2m予想)を発表するとしていたが、ハワイで2m近い津波が観測されたことから、三陸沖に大津波警報を発表した。段階的に、大津波警報から津波警報へ、津波警報から津波注意報へ切り替え、津波警報や津波注意報の解除を行い、すべて解除されたのは3月1日10時15分であった。
- 影響
・この地震により、チリ沿岸の地盤が隆起し、チリの領土の面積が1.2平方キロメートル増加した。
https://en.mercopress.com/2010/05/12/chile-gained-1.2-square-kilometres-following-the-earthquake
・NASAによるとこの地震の影響によって地球が変形し、地軸が約8cmずれたため、1日の長さが100万分の1.26秒短くなった可能性がある。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/2387/?ST=m_news
・東京大学地震研究所によると、地震波が地球を5周したことが判明した。また、南極の昭和基地では2010年6月4日までの98日間に渡って、地震によって発生した振動が観測された。
3 エピソード
東日本大震災の対処につながる、いくつかのエピソードがありました。
その一つは、宮城県からの災害派遣要請について。
当時、私は東北方面総監部で幕僚長をしていて、ちょうど宮城県沖地震に備えて、部隊の展開要領、情報収集など細部にわたって、災害派遣計画の大幅な見直しをしたところでした。君塚方面総監は、大津波警報を受け、ただちに非常勤務体制をとり、情報収集部隊の派遣を命じました。
災害派遣終了後、村井県知事が君塚方面総監に挨拶に来られた際、村井県知事から「警報だけで、自衛隊に災害派遣を要請してよいものかどうか、大変迷った」「津波が来なかったのは良かったが、自衛隊には迷惑をおかけした」という話があり、君塚方面総監からは「情報収集目的で部隊を展開させたが、自主的に部隊を派遣してよいものか、災害派遣要請を待つべきか、迷った。災害派遣要請を出してもらって安心した」という話が出ました。
そして、「次回、同様に大津波警報が出された時には、どうすべきか」という話題になりましたが、気象庁の判断を信じて、大津波警報が出された段階で、「県知事は自動的に災害派遣を要請する」、「方面総監は災害派遣要請が出される前提で情報収集部隊を派遣する」ということで意見が一致し、判断に迷うことなく迅速な処置ができるようになりました。
もう一つは、当時定期的に開催していた、東北にある国の治安関係機関の懇談会での話です。
まず、警察から、大津波警報が出されたため、沿岸部の住民や観光客を津波予想地域に入れない、地域外に誘導するときの苦労話がありました。「幸い、休日の早朝だったのでまだ観光客が出ていなくて助かったが、それでも多くの人たちから文句を言われた」。
自衛隊からは、「そういえば、沿岸部に情報収集任務で派遣された部隊が、警察に止められて観測地点に入れず、警察官を説得するのにかなり時間をロスしたという報告がありましたが、そういう訳だったんですね」。
「今度は自衛隊の災害派遣部隊を止めることがないように指示を徹底しておきます」ということになりましたが、懇談していると、港湾施設や観測機器などを管理する職員も、津波が来るから沿岸部に行かなければならない任務を持っている人たちがいることが分かり、また、国の機関でもお互いに知らなかった情報があることに気がつき、情報連携などが改善されました。
チリ地震津波のおかげで、期せずして、東日本大震災に備えた予行演習となりましたが、県や国の出先機関などとの連携がとてもよく取れていましたことを思い出します。