1 概要
雲仙普賢岳眉山で発生した山体崩壊(山全体が崩壊)と、崩壊した土砂が海に流れ込んで起きた津波による、現在の有明海に面する長崎県と熊本県の両域で、死者、行方不明者合わせて1万5千人にのぼる有史以来日本最大の火山被害であった。
(「島原大変」国土交通省 九州地方整備局 雲仙復興事務所)
2 特徴
- この災害は、肥前の国島原で発生した雲仙岳の火山性地震及びその後の眉山の山体崩壊(島原大変)に伴い、大量の土砂が一気に有明海に流れ込んだことにより10m以上の津波が発生し、島原や対岸の肥後の国(熊本県)を襲った(肥後迷惑)ことによる被害で、「島原大変肥後迷惑」と呼ばれた。
- 津波による死者は、島原で1万人、熊本で5千人と言われている。
- 新月の夜と大潮が重なり、平均海面よりも193㎝も高くなっていたこと、真っ暗闇の時間(2100頃)であったことから大きな被害となった。
- 島原城下では、一時、地域住民は避難したのだが、長期の噴火と地震が継続しているなか「大丈夫だろう」という希望的観測が広がり、多くの人たちが避難地域から帰宅たため、被害が大きくなった。
3 教訓
- 常に、気象・海象等に気を配り、対策を考えておく必要がある。
- 油断大敵!!
4 歴史
雲仙の別所付近には、縄文時代前期(6000年前)の住居跡が発見されている。
雲仙の名は、701年、僧行基が大乗院満明寺を開基し、山号を「温泉(うんぜん)山」と号したことによる。修験の山として知られ、比叡山、高野山とともに、天下の三山と称されていた。790年には弘法大師が登山し、「霊地に如くなし」と称賛したと伝えられる。
1115年頃には、瀬戸石原には300坊、別所に700坊、併せて1000坊があった。
支那との交通の際、東支那海から最初に見える日本の山が雲仙岳であったので、日本山とも呼ばれていた。
古代から、自然の厳しさや美しさに対して多くの人々の崇敬を集めてきた。しばしば噴火の災害に見舞われながらも、住民は、火山地帯の自然の恵みと豊かさを享受しながら、大自然と災害との間で、共生の歴史を歩んでいる。
(雲仙温泉観光協会HPから)