2010年のチリ地震の半世紀前、歴史上最大級の地震がチリで発生し、日本にも大きな被害をもたらしました。私が宮城県に転校した1968年当時もまだその爪痕が塩竈市郊外に残っており、多くの人たちから津波の恐ろしさを聞かされた覚えがあります。その記憶が頭をよぎったのが、2010年の東北方面総監部勤務の時でした。

1 概要

1960年5月22日、チリのバルディビア近海を震央、長さ約1000km幅200km領域を震源域として発生した。

規模は、近代地震学の景気観測史上世界最大のモーメントマグニチュード9.5で、歴史地震を含めても最大級であった。この震源域で、同規模の地震が、300年間隔で発生している。

この地震後、1年以内に以下の火山が噴火している。

2日後、コルドン・カウジェ山

49日後、ペテロア山

54日後、トゥプンガティト山

7か月後、カルブゴ山

日本での被害は、死者・行方不明者142名、負傷者855名、罹災者約15万名であった。

https://dil.bosai.go.jp/disaster/1960chile/index.html(国立研究開発法人防災科学技術研究所自然災害情報室)

http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1960_chile_jishintsunami/index.html 内閣府

2 特徴

  • 本震発生から15分後、約18mの津波がチリ沿岸部を襲った。
  • 平均時速750kmで伝播した津波は、約15時間後にはハワイ諸島を襲い、日本へは約22時間半後に到達した。最大値6.1mの津波が三陸海岸を中心に、北海道から沖縄までの太平洋岸に被害を及ぼした。

3 教訓

  • 体感する地震もない、遠地からの津波に対する認識が甘かった。
  • 当時、津波のオンライン観測網はまだなく、人が定期的に検潮所や潮位観測所に行って確認する仕組みであった。以後、気象庁は、ハワイの太平洋津波警報センターなどと連携をとるようになった。
  • 災害の歴史が語り継がれていた地域、例えば大船渡地区では、住民の判断が的確で死者を出さなかったが、転入者の多い地域では津波に対する認識がなく、多数の死者を出した。各地で、津波見学や、引き潮時の貝・魚拾いに出る人が見られ、時として死につながった。
  • 救援活動を支えるインフラの破壊、漂流物による交通障害、貯木場からの木材流出、沿岸部のライフラインの被害(上下水道・電気・電話網の破壊、発電所の浸水被害等)が大きな問題となった。
  • (内閣府防災情報のページから)