《この段は、セピア色のシネマの世界の物語。街角に立つ、黒のミンクのロングコートをお召しの金髪の美人に挨拶してみたいものです。また、職場の臭いがしてくる話です。そして、「地中海に行け」とアドバイスした師匠の言葉にシビレます。これが本物を知る者の言葉なのだと・・・・。》
Place Vendomeプラス・バンドーム 何ともいい響き。広い静かな広場で、中心に5mほどのCalonme Ven domeバンドゥム記念碑の柱が立って、その周りが広い馬車寄せ。それは昔の話で、今は車寄せです。
その回廊には、世界一の高級ブティックが静かに佇んでいます。私も一度だけこの広場を訪れたことがあります。それは日本を発つ前に入ったアメリカンエキスプレスの保険の用事で、パリ支店に行ったのです。黙って立っているだけで、18歳の私にでも感じ取れる高級感が溢れていました。そのときにこの広場は、私の来るところではないな、と感じました。
その一郭に、Hotel Litzホテル・リッツの正門がありました。
白状します。入り口の前は通ったはずなのに見た覚えはありません。勤めていたのに・・・いや見ました。オードリー・ヘップバーンとピーター・オトール主演の映画「おしゃれ泥棒」で。それにレストランの一つ、Espadonエスパドン(めかじき)も、そのフィルムのなかで。
私たち従業員は、裏口のRue Cambonカンボン通りから出入りしていました。最後にダイアナ妃とドディー氏が出た出口です。家内からの情報では、ココシャネルもこの通りにブティックを出していたそうです。
私は人生で初めて、会社なる組織の一員となりました。
驚きました。なんと8時間労働なのです。朝7時に出社してタイムレコーダーをガチャンと差して、午後3時にまたガチャンで退社です。カメリアもオーベルガドゥも朝9時から午後3時、休憩をはさんで6時から10時半くらいまででした。
そのうえ、なんと食事時間が1時間もあるのです。初日から4日間ぐらいは時間を持て余しました。さらに、食事の内容が贅沢なのです。それはお客様に出すその日のおすすめコース(定食)を昼と夜用に各30食くらい作っていました。定食を召し上がるお客様は、ほとんどいないので、昼の定食は、夜の班の食事に。そして夜の定食は翌日の昼に。さらにぶどう酒330ccと500ccのビールが1本、毎日つくのです。
調理場は2班に分かれており、朝番と夜番が隔週で替わり、休みにあたる班は、月曜日の朝7時から午後3時までのローテーションで金曜日まで。そして、土日が休みです。朝食を作る人が一人朝5時に入り、午後2時にあがります。そして夜の班が3時に入り、11時まで。土日には朝食の人以外は朝9時に入り3時まで、休憩をはさんで5時から10時まででした。
なんという良い待遇でしょう。安定していて就職するには良かったのですが、何か物足りなさを感じ、ただのサラリーマンになってしまうと思いました。
しかし、あるとき、M.Litzリッツ氏がお見えになりました。調理場の入り口に来られ、私ども小僧に丁寧に話され、「シェフにお願いしてありましたが、出来上がっているか、聞いてきてくれますか」と話され、さらに「あなたですか、今度入られた日本人の方は。フランス語が大変堪能だそうで,どうぞよろしくお願いいたします」。
返す言葉が見つかりませんでした。大変腰の低い方で、この方のためなら何でもしようと思いました。
面白かったのは、調理場の片手鍋の底が船の舳先のように変形していたことでした。
それは調理場が広いので、コンクリートの床の上を滑らせて投げるのです。洗い場へ。長年使っているので変形しているのです。そして、洗い場のシンクがシンクではないのです。風呂なのです。深さ80cmくらいで、1.5m角の槽が二つ。沈んでいる鍋をどうやって取るのかと見ていると、片手鍋の手のところに壁に掛ける用に穴が開いていて、そこにフックを引っ掛けてあげていました。器用だなと思いました。
Operaオペラ座からMadeleineマドレーヌ寺院の通りをBoulevard de la Madeleineブルーバ-ド・ドゥ・ラ・マドレーヌという通りで、Rue Cambonカンボン通りに面しており、有名なOlympiaオリンピア劇場もありました。
そして、リッツの調理場で有名だったのが、この通りのCharls Jourdanシャルル・ジョルダンの前に総料理長のCocoynaqココイニアック氏が小僧の頃から立っておいでの80歳くらいの金髪の美人で黒のミンクのロングコートをお召しの娼婦の方でした。皆、毎晩Bonsoir Madameボンソワール マダームと、挨拶をして通っておりました。あちら様も軽く会釈なさり、挨拶する子はリッツの子たちと知っておられました。
そんなこんなで過ごしているときに、地中海にいるカメリアのドミニックから電話で、「こっちに来ないか」と話があり、師匠に相談したところ「是非、行け」と。
地中海は、バカンスで2度過ごしたことがありましたが、師匠は、「行って生活してこい。そうすれば何でパセリなのか。またトマトで、ニンニクなのか、解かるから、とにかく行って生活してこい」。
そしてもう一つ。「料理のレシピなど、どうでもいいから、ただし、書いておけ。材料は何だとか、量は何グラムだとかはレシピではない。レシピとは、何時、どんなところで、何のために、何を作ったか、がレシピだ。そして、それはすぐには役立たないが、20年、30年後には必ず役立つから、詳しく、どんな調理場で、どんな器具で、どういう状態でということまで、しっかり書いておけ。」と言われました。
確かにその通りでした。
僅か、6か月のリッツでした。