岡野さんのお話には、人の繋がり「ご縁」の広さに驚かされ、「世界人類皆兄弟」みたいな気分になります。人に対する暖かさが、そうさせているのでしょう。家族、血縁、地縁、義理人情は、世界共通のもので、こういう価値観を、日本人は、もっと大切にして良いのかもしれません。

一番びっくりさせられたのが、カメリアのドミニック一家でした。

パリから50kmくらいのRambouietランブイエ(ランブイエ会議で有名)郊外の小さな村。人口が40人ぐらいのPerene sous abritプルネ・スーザ・ブリという村で、番地がなく、名前とYvelineイブリーヌ(県)Perene sous abritプルネ・スーザ・ブリだけで手紙が着くところに住んでいました。

家長は、一人で住んでいる、当時80歳のおばあちゃん。呼び名は知りません。いつも皆、Grand mereグランメール、グランメール、おばあちゃん、おばあちゃんと呼んでいたので、私も同じでした。

身長156cmくらい、体重50kgくらいの腰の曲がった可愛いおばあちゃんでした。私が遊びに行くと、いつも、ドミニックの家から30m位離れたところにあるおばあちゃんの家に泊めてもらいました。昔、旅籠屋と雑貨屋をしていたそうです。

今から50年くらい前で、一般家庭ではプロパンガスで調理していましたが、おばあちゃんの家では何をするにもストーブが主役で、朝一番に残り火に石炭をくべていました。アイロンも、ストーブの中から少し火のついた石炭を入れて、かけていました。テレビはなく、当時のフランスは2チャンネルしかなくてあまり重要視されておらず、ラジオを聞いておられました。そして、私の寝るベッドは、映画に出てくるような天蓋がある暑さ25cmもある麦わらベッドでした。

おばあちゃんの息子、ドミニックの父親は、どうしてこんな小さな人からこんなに大きな人が生まれてくるのだろうと思うくらい大きく、身長180cm、体重130kgもありました。こんなに大きな人を見たことがなかったので驚いたのがドミニックの兄Bernaedベルナールで、身長196cm、体重120kg。握手しようと出された手を見たときには、冗談ではなく、グローブかと思いました。

姉のJannineジャニンヌは、おばあちゃんに似て、小さい方で、Patissierパティシエと結婚して、菓子屋をしていましたが、ご主人が亡くなり、今はフランス中部でレストランをしています。

大きいと言えば、M.Ogierオジエ氏も大きい方で、当時流行っていた紺のダブルのジャケットを着ていましたが、それが私のトレンチコートよりも大きいのです。その身体で料理人なのです。あの大きな手でどうやって料理を作るのかと思いましたが、器用な方でした。

さらに驚くのが、料理人でもシーズンの料理人をしていて、普段はプロレスラーとクラブの用心棒をしていました。徴兵では、コックではなく、大尉と二人で、脱走兵を捕まえる役をしていて、脱走兵を見つけると、肩に手を置いて静かに「なっ、帰ろう」と言うと、皆、素直に着いてきたと言っていました。

そして、もう一人は、前回書いたジルベール一家の長男Jean-Marieジャン・マリです。妹の明美も大変お世話になりました。ジャン・マリは、Cannesカーヌ、そうカーヌの音楽祭で有名な地で、郵便局の機械技師として夜間勤務をしていました。「機械はそうそう壊れないので何もすることがなく退屈だけど、事が起きたときにはすぐに対処しなければならないので、大事な仕事だ」と、言っていました。

彼は忍者好きで、集めた手裏剣や十時手裏剣を宝物のようにしていて、いつか伊賀と甲賀を訪れたいと語る、少年のような26歳でした。

彼のビックリは、徴兵でヘリコプターのパイロットをしていたとのことで、何故ビックリかというと、これは日本に帰ってきてからの話ですが、NHKがアメリカに取材に行ったときにヘリコプターをチャーターしたときのパイロットが、非常に太っている人が来たのです。普通、ヘリコプターには重量制限があるので、荷物が多く積めるように、小さい人が多いとのこと。それを問いただすと、「私はランボーのヘリコプターを操縦していたパイロットだ。一番上手いので、どんな注文も大丈夫だ」と言うので乗ってみると、その技量が上手なことに驚いたそうです。

ジャン・マリは、190cmの長身で細身だったので、多分75~80kgくらいだったと思います。自分から志願したとは言っていましたが、よく採用されたものだと思います。

この話にはオチがあります。相当優秀だったみたいで戦闘機のパイロット育成に選抜され、最初は順調に進んだのですが、背面飛行でとても苦しくなって気を失って脱落。このとき学課もあったので勉強していた結果、パイロットの試験には落ちましたが、そこで技師の資格が取れて、現在の仕事に就けたのだそうです。

そのすぐ下の弟のBruneanブルノーもやはり大きく、カナダに渡って、森林警備の仕事をしています。

最後の一人、ホテルリッツの洗い場の人で、名前も忘れましたが、年の頃25~6歳と思われる、随分物の言い方と態度がでかい、黒人の男がおりました。

ある日彼が調理場で急に倒れて血の気が失せたのです。皆、慌てて駆け寄り、介抱しました。こういう言い方は良くないのかもしれませんがコンゴ系の深い黒だった皮膚の色が、血の気が引くと、本当に青白くなったのです。このとき、初めて彼の年齢が分かったのですが、なんと62歳だったのです。違う民族の年齢は分かり難いと言いますが、驚愕の出来事でした。