1995年秋、まだ冷戦が崩壊する前で、米軍は「災害派遣など州兵の任務で、軍隊の本来任務ではない」と公言していた時代。阪神淡路大震災の直後であるにせよ、なぜ米軍が、陸上自衛隊の大規模震災対処演習の研修に来るのか、疑問に思いながら、彼らを迎えました。
恰幅の良い事務官とともに入ってきた研修団は、中尉、少尉クラスの3~40名若い将校たち。予想した通り、表情からはまったく関心が感じられず、実につまらなそうにブリーフィングを聞いていましたが、事務官に促されるように質問をしたとき、彼らが来た理由が分かったような気がしました。
「厚木基地は大丈夫か」「横須賀基地に津波の恐れはないのか」「横田基地は大丈夫か」、そして「大使館はどうか」等、米軍基地の維持と米国民の避難につながる質問で、個人的に疑問を持ったからした質問ではない、つまり用意した質問を言わされていることは明らかでした。
横田基地は、硬い岩盤の上にあるので心配ない。厚木基地も硬い岩盤の台地上だから地震には強い。厚木基地も堅い台地の上にある。台地の下に広がる住宅地は火災の恐れがあると見積もられているが、台上にまで延焼することはない。横須賀基地は東京湾の内部にあるから、外洋からの津波には大丈夫だろう。直下型地震で、東京湾に大きな津波は想定されていない。大使館の地盤は大丈夫だと思うが、警備等は自衛隊の任務ではないから分からない等々・・・・。
一連の質問を終わると、私が答えるたびに頷きながら聞いていた、恰幅の良い事務官がすっと近づいてきて、如何にも「俺は知っているぞ」と言わんばかりに一言、「君、よく質問に答えたね」。ムッとして「分かっているんでしょう?」と言うとニヤリ。
そのあと、部隊の展開状況速度を示したチャートの前でのこと。予定にはなかったのですが、先の態度が少し腹立たしかったので、米軍の陸軍参謀総長が「周到な準備をして、素早い対応ができた」と誇っていた1992年のアンドリュー台風のときの米軍の展開速度の例を挙げて、「不測の大地震であったにも関わらず、米軍の展開速度よりもはるかに早い展開だった」と説明しかけると、事務官から「分かってる。それ以上は言うな」と 、不機嫌そうに 遮られてしまいました。
彼は専門官か何かだったのだろうと思うのですが、とにかく、予想していた以上に詳しく知っている、という印象を持ちました。
在外米国人の保護は、国務省の任務ですが、実行を命じられるのは軍になります。
米軍が大規模震災対処演習に関心を持った理由は、おそらく、自衛隊の災害派遣態勢、米軍基地等について自衛隊がどのような認識を持っているか等を知り、米国民の保護計画を策定するための情報資料を得たい、ということだったでしょう。
こういうことを確実に実施している真面目さが、米軍の隠れた、真の強みだと感心させられましたが、この危機事態への備えは、東日本大震災時に、見事に発揮されました。