《私は子どもの頃、大人は、古典やクラシックなど、古いものをありがたがっているけれども、不思議で仕方がありませんでした。新しくて、ピカピカしている方がいいじゃないか、程度の発想しかありませんでした。
でも、年を取ってくると、時間を越えて生き残っているものの価値、凄さというものにやっと気がついてきました。好き嫌いは別にして、何十年、何百年の間に、多くの人々の好みや厳しい評価をくぐり抜けて、生き残ってきたものには、味があるものだなぁと。
大事にしていても、傷つけたり、無くしたりしますし、気に入らなければ、すぐに飽きられ、捨てられてしまうのですから。
それを取り扱う方々への感謝。素晴らしい目配りに感服しました。》
すいません。前回はグチが出てしまいました。
グチと云えば、前出、優子の中学生時の同級生の友松みゆき女史。
妹も一時、お世話になりました。彼女とパリで会ったのは1972~3年のときだったと思います。ソルボンヌに留学されたとき・・・なぜ敬語かというと、私より一つ年上なので。ホントは、トンマか、みゆきと呼んでいますが。トンマとは1965~6年頃にテレビで出てきた“トンマ天狗”からきていたと聞いておりました。
彼女の家では、唯一彼女だけが文系で、父上、母上、兄上様達、皆、理系だったのです。食事のときに「今日は私の好きなおかずだから、話をしないで!」と、よく云っておられたと。「だって、食事中に肝臓の解剖の話を楽しそうにするんだもの。おいしく感じられない!」。分かります。これは酷です。
トンマとパリで会ったとき、彼女はイラン人の女性とルームシェアしていて、2回ほど泊めてもらいました。そのときに、イランの女性に上澄コーヒーでの占いをしてもらいました。
そして1977年、パリに戻ってきたときに、再会しました。
彼女は作家のサルトル君が住んでいるモンパルナスの近代的なアパートに住んでいて、入り口は今で云うオートロックで、入り口で暗証番号を押して解除しており、これがグチの原因になっていました。
「暗証番号が毎月変わるので、時々忘れてしまうの」と。「友人に知らせるのも大変だ」と云っていました。今の私では、覚えている自信がありません。
その後、十数年ぶりにルーブル美術館の通訳として日本に来たときに、店によってくれました。そのときの話で、二つ驚いたことがありました。
一つは、保険の話で、美術品なので(絵だと布のキャンバスなので)、展示場の場所、時期、温度、湿度、照明の話を聞いたことです。当時、今から30年ほど前に聞いたときにはびっくりしました。
リーマンショック後、父が身辺整理を始め、ある骨董商に自宅に来てもらったとき、その方曰く「今はおやめになった方が良いです」と。そして、ある絵を見て「お金持ちは完璧な物しか求めませんので」と、云っていたと話してくれました。
美術品は、それだけ神経を使っているのですね。
私が子供の頃、父が「百年以上が骨董で、それ以前はガラクタと云うんだよ」とよく云っていたのを覚えています。うちは四代で120年ですが、「一代が25年で、四代が手を掛けて守ってきたから価値があるのだ」と。
そしてもう一つは、日本通運のことです。これには「ルーブル美術館側が大絶賛だ」と云っておりました。
私供も一度、江戸東京博物館に展示いさせていた大とときに、日本通運の美術部の方々が来られました。その丁寧さには家内共々本当に感謝しております。確か2年前に、ルーブル美術館で、サムトラケのニケの引っ越しをテレビで見せてもらいました。
同じ日本人として、「流石、日本通運の美術部」と、誇りに思いました。ありがとうございます。