地震と津波避けの鹿島の神様が祀られている地域は、それなりの理由があるらしい。

例えば、鹿島神社のある和歌山県みなべ町が、安政南海地震で、津波被害が小さかったことも、現代の津波研究の知識をもってすれば、その理由を合理的に説明できるし、静岡県沼津市原の宿場が守られた要石神社の霊験も、学術的に解釈されている。

昔の人たちがどうやって地震や津波に強い場所を知ったのかは分からないが、例えば、静岡県袖師では、次のような経緯で鹿島の神様が祀られていることが分かったという。

それは、地震の研究者が幾百という古文書を調べているうちに安政東海地震の被災地の真ん中にぽっかりと地震被害の軽微な地域が現れたことがきっかけで、これは不思議と、研究者が地質を調べたところ、そこが局地的に地震に強いことが証明された。

そして現地に行ってみると、すでに何百年も前から鹿島の神が鎮座しているのを“発見した”というのだが、“発見した”と表現されているところが面白い。

それと同じように、要石が地震を抑えていると言われる由縁も、次第に明らかにされていて、これも“発見”と報じられている。

1970年の後半に大陸棚にある地下資源を探索しようとしてセスナ機を飛ばして磁気を調査したところ磁気異常が観測されたので、その原因を調べたら、蛇紋岩の馬鹿でかい岩体が鹿島の地下にあることが分かった。

その後、建設省建築研究所の神谷真一郎博士(地震学)と小林洋二博士(地球科学)が1979年-95年に起きた地震の波が伝わる速さのデータを基に、関東地方の地下にある岩石を調べたところ、変形しやすい度合いの高い領域が埼玉県南部から茨城県南部にかけて、東西方向に長さ約120km、幅20-30km、深さ20-45kmの帯状に延びていることを“発見した”ということになった。

蛇紋岩は、中央構造線の外帯を特定するときの指標になる岩石で、柔らかく簡単に変形するため、地震を起こす歪みがたまりにくいとされているそうだ。

江戸時代、日本全体を取り巻く龍が描かれている「地震の弁」という瓦版形式の刷り物(図版)があって、安政江戸地震の様子が描かれていて、その原本は、鎌倉時代の成立とみられる金沢文庫本「日本図」にさかのぼるらしい。同じように、日本全体を取り巻いた龍が描かれており、龍の頭は、身体の末端の尾を噛んで常陸国(茨城県)の鹿島の神の上に置かれている。さらに、その尻尾の先には剣があって、「要石」と注記されている、という。

江戸中期以前には、地震は龍が起こすものだとする説があったらしい。地震と大津波の両方を龍で表現していたのかもしれない。

こういった話。単なる伝承や迷信として捨て置くには、奥が深い。

シュリーマンが、ギリシャ神話を歴史の事実だと証明したように、日本の神話や伝承も科学することで新しい発見があるような気がする。何より、物語は、楽しいではないか。