《本を読むときテーマを決めたら、同じテーマについてさまざまな角度から書かれた本を読むようにしている。右を読んだら左、左を読んだら上から下から。素人、専門分野の異なる素人、専門家。

できるだけ幅広い視点からテーマをとらえて、自分が納得するところをメモしながら、読んでいく。意外と、最初の印象とは異なる部分で納得したり、相容れなくても仕方がないなと思う課題が見えてきたり、知らない世界が見えてきて、面白さが倍増してくる。 人間関係でも同じで、好き嫌いで切り捨ててしまえばそれだけだが、皆、多面性を持って生きているわけだから、その瞬間に語り、行動することがすべてではない。そう思って、付き合っていると、その人の味を前向きに楽しめるような気がしてくる。》

今朝、大変嫌なものを見てしまいました。前にも話した歯科医院」に行く途中の坂道を登っていると、クラクションが鳴ったのです。プット軽く。私は道路の端を歩いていたので振り向きもせずに歩き続けました。すると、またプッと鳴るので何だと振り向くと、190cm近い汗だく男西洋人がジョッギングの帰りのようで、道の真ん中を歩いて登っているのです。その後に、バンがクラクションをもう一度、プッと鳴らしました。その西洋人は、意に介さず、歩いて私を抜いて上がっていきました。

私は、バンの運転手が、こんなバカに遭遇して可哀相と思い、ついフランス語でQuel conケルコンと云ってしまいました。意味は、このバカです。この西洋人は、それも構わずに、また鳴らされても歩いていました。私は、そこの横道に曲がりながら、こんなバカもいるのかと思い、先生のいる医院の戸を開けました。もう何年もフランス語なんて使っていないのに、咄嗟のときに出るのがフランス語なのです。Pardon失礼とか、です。

先生のところでは今、前々回に書いたオスマンの大改造ならぬ、歯の大改造をしてもらっています。傾いた歯を少しずつ動かして、噛み合わせているのです。先生も正直な方ですので、「このまま放っておくと、1本の歯に負荷がかかり、1本ずつ抜けていくんだよ。若くないからね」。若くない、確かに。自分でも歯並びは夜明けのマージャンパイだと思っていたので。

「テンションを懸けてあるから2週間後ね」と云われて、先ほどの道を帰ってきました。その途中、ひょっとしたら、先ほどの西洋人は耳が不自由なのかもしれないと思い、もしそうだとしたら可哀相にと。そしてどちらにしても可哀相な人だと結論づけました。

これで今日も一日、楽しく生活できると思い、ハイ終わり。

で、ですよ。フランス時代にはまず盲腸。コルシカ島で親指を怪我して1回。最後のシベルタで、チーフに脂をかけられて火傷で1回。その前に地中海で夏風邪に罹り注射を1回、でもこれは先生が来てくれました。病院とは、そんなに縁は深くないと思ったのですが。

そうそうコルシカ島から帰ったその夜に、ドミニックに見つけてもらったアパートの側の病院に親指の手当てをしてもらいに行きました。夜男10時ぐらいでした。夜勤の女性の先生が治療してくれました。御礼を言って支払いに行こうとすると、手で制され、小さな声で「また明日、この時間にいらっしゃい。包帯を交換しますから」と、可哀相と思われたようで、無料で直していただきました。

医療関係では見習いに入ったカメリアの同僚パスカルの姉、モニックが看護婦で彼女が勤めていた病院によく遊びに行きました。彼女は私より3つ年上で、新生児の係りでした。生まれたての赤ちゃんは、日本でも赤と書くように赤いので、フランス語では俗語で、ザリガニEcrevisseエックルビス。ボイルすると真っ赤になるのでこう呼ぶと教えてくれました。良い姉貴分でした。

親友の1人、ジルベールの元かみさん、フランソワーズも看護婦でその関係で何人かの若手医師とも知り合いました。今なら分かるのですが、25歳の私はやはり世間知らずだったので、医者とは、患者を診て病気を治す人だと思っていました。今のコロナ禍で、ワクチンの開発、そう試験管相手に闘う医師がいることをこの時期、初めて知りました。現場だけではないんだと。

本当は、この稿では、フランスにいるときは元気で病気にも罹らずに生活していましたと書くはずだったのですが、記憶を辿ると、あるあるで、あれもこれもと出てきて、意外に医療の隣にいた自分がいました。

妹の明美がパリに着いたとき、これまたこんなことがあるのかとビックリ。水疱瘡に罹って来たのです。そのとき初めて、フランスの町の個人医のところに行きました。行ってみてビックリ。医療器具が何もないのです。デスクと壁際に黒の革張りの細長いベッドと同じ箱枕。そして医療品の入った鍵付きのガラス扉のケースだけでした。待合室から入ったときに、あっ拙い、ちゃんとした病院に連れて行けば良かったと思ったのを覚えています。

しかしそれは、危惧でした。

そこにおいでになった50歳代の先生は、挨拶の後云った言葉が「どうしましたか?」ただそれだけでした。私が説明している間、相槌を打つだけでした。その後、2~3質問されたと思います。私は先生に、「患者は妹で、年齢は18歳。東京から昨日の朝、モスクワ経由のソ連の航空会社アエロフロートでパリに着き、着いたときから具合が悪く、私のところに着いたときに熱を測ったならば37.7度あったので、今日こちらに来ました」と説明したのと、パスポートとそれに付随している予防接種証明証を見せました。

すると先生が妹の手を取って診ると一言、Varicelleヴァリセッル。私は、医療用語が分からないので、書いて下さいというと、書いてくれました。こんなこともあろうかと、辞書を持参していました。引くと、水疱瘡だと分かりました。すると先生が「大したことではないから大丈夫。ただ大人では、希に重症になることがある。それと女性だから、跡が残るといけないから掻きむしらないことと消毒。そして痒み止めのクリームを塗ること。あと、弱い解熱剤を飲んで、栄養をしっかり摂って休んで下さい」と話していただきました。そして一言。「5日経っても改善しなければ、もう一度来て下さい」でした。

ものの10分ほどでしたが、医療は言葉なんだと教えていただいた方でした。御礼を言って、妹に説明しながら、安心して帰ったのを覚えています。

今、昨日から続いて書いていますが、今日の書き始めは、親友の1人ジルベールからです。

先ほどの妹、明美の先生のことを書いていって分かったことですが、医療というなかの先駆者であられる先生と、何も分からない患者、その患者の情報をできるだけ引き出し、専門家という立場からその情報を判断し、安心感を与え、改善の方向性を示し、結果を云う。

今朝、テレビで、これを見ました。今日は、東京西麻布の8月26日(水)です。

何日ぶりに、クーラーを付けずにぐっすりと寝ることができ、起床したのが午前9時でした。何の気なしに見ていた羽鳥慎一モーニングショーで、初めて東京への転入で人口が減ったということを云っていました。6月に出た発表だそうです。

それによると、このコロナ禍により、仕事がリモートになり、色々考えた末、地方に移住した話でした。確か、板橋の女性が実家のある北海道の隣町に住んでみて、東京都の違いでどうなったかという話でした。

そこでコメンテーターとして出ておられたビジネス・インサイダー・ジャパンの統括編集長の浜田敬子さんが自分の事務所で、移住のシミュレーションを五島列島でしたそうです。今の東京の若者は運転免許証を持っていないので、地方だと車が必要なので県の担当者の方に免許とセットにした方が良いですよ、と話されたそうです。何が云いたいのかというと、本来、国が行わなければならないことをテレビ局が行ったと云うこと。 このコロナのなかの情報で、密が良くないということで、改善の方法として地方に移住、その結果としてのプラスの点、マイナスの点を示し、さらに浜田さんの改善策でした。このコロナ禍のなかで、初めて前向きな、明るい明日を示していただき、心強く感じました。ありがとう。テレビ朝日。

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