《以前から、「もっとやさしくしゃべりなさい」「あなたの言っていることは、あとから正しいって分かるけど、最初から分かるようにしゃべりなさい」などと、厳しく言ってくださる方がいらっしゃいます。それが一人ならいいのですが複数なので、「そんなことないでしょう」と抵抗しながらも、その通りなのかな、と思って久しいのですが。

「女、子供にも、小学生にも分かるように」と言われると、「分かりやすい日本語だったらいいじゃないか」などと言い訳?してしまいますが、確かに異業種の方々と話をしていると、通じているようで受け取られ方が異なっていることもあります。

最初は、経験が違うから仕方がないと気にしていなかったことも最近は、やっぱり伝える努力が足りないのかなと、改めて反省する今日この頃です。

「だから昔から言っているじゃないの」という声が聞こえるのを気にしながら・・・。》

昨日テレビでアルザス地方の番組を見ました。私にとって未見地の地方です。唯一行ったことのない地方の景色でした。そのなかで一番私の文章のなかで使う単語、一番、もっと違う同じ言葉の単語が出てきません。ごめんなさい。それは建物、よく写真で見ているので別に驚くことではなく、あの壁に浮き出ている独特な建物の由来を聞いて本当にびっくりしました。皆さんはご存じでしたか?なかにはそんなこと知っていると、えっ知らないのと、思う方もいらっしゃると思いますが、私にはびっくり。それは地震。地震だったのです。

フランスでは地震はなく、あるのは親友の一人ジルベールの実家のあるピレネー地方だけだと聞いていました。そしてもう一つ、地中海地方は、これから200年の間に地震によって壊滅すると、よく聞いていました。イタリアの火山帯の続きかもしれません。そこへ初めて聞くアルザス地方の地震。昔、地震が多く、あのように壁にしっかりしたというよりも、柱と同じ太さの筋交いで建物を強くしたそうです。

私の部下にもアルザス出身のカイザーというドイツ系丸出しの子がいました。アルザスはフランスになったり、ドイツになったりした地域で、その様子が色濃く残っている地方です。彼が実家に電話しているイントネーションを聞いたときに、ドイツ語を話していると思いました。会話後に彼に聞くと、ドイツ語ではなくアルザスの方言だと言うではありませんか。私はてっきりドイツ語だと思ったと率直に感想を言うと、「いやフランス語ですよ。CanardはCanard、鴨は鴨ですもん。」と云っておりました。実際に聞いてみないと皆さまには伝わらないと思いますけど。

言葉というものは面白い物で、わざわざ物という言い方をしたのは、一種の道具的な一面があるように思います。ちょっと例は違いますが、菊池寛さんがおっしゃっているように「ペンは剣より強し」のごとく。あれ、大分違うぞ。

でも言葉という道具は国がなくなってもしぶとく残っていたり、何々国と云いながら、他国の言語を自国の公用語として使っていたりします。例えば、スイスはフランス語、ドイツ語、イタリア語。ベルギーはフランス語、フラマン語、ドイツ語が公用語だそうです。

同じように南米諸国、例えばサッカーで有名なブラジル、よく日本の真反対にある国と云われていますが、公用語はポルトガル語です。同じく、サッカーで有名なアルジェンチンはスペイン語です。台湾や韓国も戦前は日本語を使うように強要されていたので、お年寄りの方は日本語を忘れずに話される方もおられます。

そう、鴎外さんのご長男、於菟(Otto)さんは、東京帝国大学医学部助教授をへて、台北帝国大学(現台湾大学)の医学部長をしておられました。ちなみに長女、茉莉(Marie)さん、次女、杏奴(Anne)さん、お三方はよくお見えいただいておりました。

次女の杏奴さんお息子さん、小堀鷗一郎さんも面白い先生で、あるとき私に「龍圡軒さんも、もう店やめない」と云われました。びっくりして先生を見ていると「うちもさ~、無理矢理どこかの親戚を引っ張り出して医者にしているんだよ。だからさ~」と笑いながら話してくれました。警察病院の院長のときでした。先生曰く、「まだじいさんの机が置いてあるんだぜ」とべらんめい口調で話されて、オチは「あんまり病院に行かない方がいいよ。病人にされちゃうから」でした。

日本でも、漢字は中国でできた表意文字で、日本でできたのは仮名とカタカナです。日本人は、この表意文字を外国の物だからと云わずに上手に使いこなしてきたと思います。漢字は象形文字から発展した物もあり、マーク、図柄的に一字で意味をなす、一回で分かりやすい物です。アルファベットは読まなければならず、仮名もカタカナも同じです。

実はこれからが云いたくて、アルザスからスイス、台湾、小堀先生、漢字ときたわけです。

先日の日曜日に渋谷にある、色々な物を売っている、物のデパートのようなところへ行きました。この文章を清書するときに使う修正液の薄め液を求めに行ったのです。何せ、国語2の男なのでよく間違えるのです。

よく行くのに何階か分からずにエレベーターの横のポスター用紙大の案内板に目をやったのです。その案内板の何と見にくいこと。各項目が全部カタカナで書いてあるのです。スティショナリー、ウッド、サニタリィー、キッチン、トゥール、デザイン、イルミネーション、トラベルと、すべて外来語にして書いてありました。正直、読むのが面倒なのでやめて、エレベーターに乗り込みました。中に入ると漢字で、文具、木材、衛生、浴室、工具、意匠、照明、旅行と案内板に書いてあり、そして漢字の下にその売り場の内容が書いてあり、一目で、あっ5階だと分かりました。

そのときエレベーターの外の案内板は案内ではなく、デザインなのかなと思いました。文具売り場の方に、薄め液を案内していただき、御礼を云って、帰り際に案内板の話をすると、その人は全部カタカナが先行していることすら知りませんでした。毎日見ているはずなのにとご自分でも驚いていました。会議にあげてみますとおっしゃっていました。

いつも思うのですが、日本の案内板は、情報量が多すぎて分かりづらい。本当の親切とは、百科事典のように色々なことが書いてあるのではなく、はいか、いいえ、またあるか、ないか、のような分かりやすい単純さが本当の親切だと思います。

以前、家内の友人とJRの新宿駅構内で待ち合わせをしました。どこへ行こうかと話し、逗子マリーナの漁港に魚を食べに行こうとなり、たまたま近くにいた駅の職員の方に鎌倉駅に行きたいと聞くと、駅員さんが「今なら間に合うからついてきてください」と云って、湘南新宿ラインのホーム下まで、200mくらいあったと思いますが、走って先導してくれました。

今時、こんな親切な人がいるんだと、皆、その日一日を楽しく過ごさせていただきました。案内とは難しいものですね。

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