高速道路を降りると、香取神宮の訪問にはちょっと早かったので、目に入った「伊能忠敬記念館」に寄ってみた。

「日本地図を作った」という誰もが知っている程度の記憶しかなかったが、なんとなく興味を持っていた人物。記念館に入って、大当たり!!端から端まで、二度見してきた。

何が面白くて、感銘を受けたかというと、まず人生。

人生50年という時代に、佐原の地域で、名主、酒造業等々で、功なり名を遂げて49歳で隠居。それ以前から深く興味を持っていたようだが、文字通り、50の手習いで、幕府の天文方高橋至時(よしとき)に入門。

55歳から測量を始めて73歳で亡くなるまで、測量一途の生涯。たった18年間での業績が実測日本地図。

いわば定年退官後の第二の人生。

このバイタリティ、少しでも見習いたいもの。

二つ目が、その測量方法。約18mの鉄尺での測距と方位・高低差の測量と記録。ただそれだけ。これを繰り返して、全国を歩き回ったという、気の遠くなるような作業の反復。決して、天才的な発想ではなく、ひたすら肉体労働と記録の地道な積み重ねの結果。

思い出したのは、防衛大学校1年生のときの地図作りの実習。すぐにいい加減さ、サボりっけ、手抜き作業が出てくる者には決して真似できない、気の遠くなるような真面目さというか、困難や苦しさに負けない忍耐力や目標への執念。

スーパーマンのような強靱な身体を持った天才的な人物かと思っていましたが、名主時代の記録、功績を見ると、それよりも合理的に考えることのできる、智恵に富んだ、誠実な人物だったと言った方が相応しい。

三つ目が、伊能忠敬の師匠、幕府天文方の高橋至時という人物。あの時代に、極めて正確に経度緯度を測定したのだが、「地球の大きさを測定したい」という発想が凄い。

高橋至時の「地球の大きさを測定したい」というくらいの発想なしに、日本地図を実測して作ろうなどと考えることはなかったかも知れません。まさにレジリエンスの塊のような人物。

この資料館所蔵の「伊能忠敬関係資料」2345点は国宝。見応えがあります。

記念館付近の古い街並みも綺麗ですし、香取神宮も近いし、他にも見所が一杯ある。是非、お出かけください。

話は大きく宇宙に飛びだすが、そんな伊能忠敬に感動して思い出していたら、今はハッブル望遠鏡で観測して、宇宙地図を作っている時代。偶然、「地球の大きさ」ならぬ、「宇宙の大きさを実感できる動画(5‘25“)」を見つけた。

自分という人間の小ささを感じてしまいます。