組織が変革する第一の要因は、先に述べたように、任務・役割の変化です。任務が変われば、それに合わせて組織を変えなくてはならないという極めて単純な要因です。
組織は何らかの目的を達成するために造られたものでしかありません。組織は、管理するための一手段にしか過ぎません。ところが、往々にして、組織を任務に優先して考えてしまう。手段を維持することが目的化してしまうという、よくある話です。
もう一つの要因は、技術の変化です。
仕事をするための道具が進化すれば、それを最も効率的に働かせるように組織を見直さなくてはなりません。情報化は、ITという技術の進化に伴って出てきた現象で、道具の進化に加えて、情報処理の機能を付加することが必要になります。
道具が変われば、その使い方に合わせて組織を変えなくてはなりません。その結果、業務のやり方を変え、業務要領と働く人の意識とすり合わせ、マッチするように、さらに組織を見直さなくてはなりません。
ところが、組織を優先して考える人は、組織を変えることも、業務を変えることも嫌います。組織と道具と業務のやり方がマッチしないわけです。
ITという新しい道具を入れることでかえって、業務が非効率になり、組織が停滞してしまう。これもよくある話です。
「組織の改革に合わせて、業務の改革と意識の改革を連携して進める必要があります」と言ったら、「一般論じゃ分からない。具体的にどうしたらいいんだ」と言った人がいましたが、これはまったく問題外でした。
今から約20年前、米軍に習って、陸上自衛隊でも、デジタル化を進めて上級部隊から現場の隊員までが情報を共有したらどうなるか、部隊実験を行ったことがありました。
私をはじめ、古い頭を持っていた大方の者は、口には出しませんでしたが、不必要な情報を共有することで指揮が混乱するのではないか、特に上級部隊から現場への介入(統制)が強まって、過干渉が起き、下級指揮官の自主積極性を抑制する方向になるのではないか、と思っていました。
ところが、予想はまったく外れてしまいました。
これまでは“戦場の霧”のなかで、状況不明のまま判断しなくてはならなかったものが、全員が情報を共有できるようになったことで、第一線の隊員が全体像を把握できて、状況判断をしやすくなったのです。
また上級部隊が求めている情報(入手していない情報)が分かるようになったため、必要としている情報を積極的に報告するようになったのでした。
第一線の情報がタイムリーかつ正確に入るようになると、上級部隊はほぼリアルタイムで対策・処置できるようになります。
プラス評価を期待していた実験の担当官の予想を超え、その担当官が驚くほど、現場指揮官の自主積極性が増して、報告が積極的に行われるようになり、上下のコミュニケーションがよくなって、戦闘効率が上がるという結果が生まれました。
技術の発達が組織を大きく変えることはなかったように思いますが、業務のやり方というか、指揮権限を下に落として、状況の変化に対してより柔軟に対応できるようになった、というソフト面での改革と意識改革を大きく進めたように思います。
ちょっと話は変わりますが・・・。
米軍に数年遅れ、陸上自衛隊が行った部隊実験が約20年前。実は、デジタル革命を予言したのは、1960年代のソ連でした。
ソ連は、第一の軍事革命を「鉄砲の発明」、第二の軍事革命を「核兵器の開発」、そして「軍事技術の総合的自動化」「指揮の面における科学的知識の集約的な導入」「システム化による戦闘効率の飛躍的向上」等によって、第三の軍事革命が起こることを予測していました。
的確に将来を予測していたにもかかわらず、実現のための技術を持たなかったソ連は、冷たい戦争に敗れて姿を消し、そのコンセプトを学んだ米国が、優れた技術力基盤を生かして、第三の軍事革命を、“デジタル革命”という形で現実のものにしました。
第三の軍事革命を予測し、世界最高レベルの軍事学を誇ったソ連の将校叢書一七冊のなかで最も権威ある位置を占めていた『戦争と軍隊に関するマルクスレーニン主義教義』に、このような一節があります。
『軍事学にとって最も危険なものは次の二つの見解である。すなわち、軍事技術の新しいもの、新しいが未だテストされていない軍事課題解決の方法、小戦争での経験、これらの役割を過大評価する夢想的見解と、革新と創造力に欠け古い実戦経験を後生大事に偶像化する見解、の二つである。
(略)立ち後れた思想はしばしば、時代遅れの兵器よりはるかに危険である』。
ソ連の軍事学研究のアカデミックさが感じられる記述ですが、この時代遅れの二つの見解、立ち後れた思想が、日本社会にはびこっているように思われるのは、はなはだ面白くないところです。