《「何を食べても、美味しいとしか言わないけれど、本当はどうなんだ?」と食通の友人や家内にからかわれることがあるくらいですから、それほど味にはうるさくないのですが、岡野さんのエッセーを読むようになってから、少し味の記憶が敏感になってきたような気がしています。

退職した先輩から「幹部自衛官は、転勤先で地の美味い酒と食べ物をいただくから、知らない間に舌が肥えていて、退職してからそれに気がつく」と言われたことを思い出しました。

たしかに転勤した先々で、おもてなし下さった方々のご厚意や楽しい話題が、味や食感や色や香りや味や舌触りや歯ごたえなど、すべての感覚とともに、思い出の彩りとして残っていて、逆に“○○の味“が思い出を鮮明に甦らせることもあるように思います。 そして、食べ物に関わる記憶は、間違いなく、楽しい思い出ばかりです。(A.Y)》

自分でも不思議なことが起こっています。

理由は分からないのですが直すことが出来ません。それは、この文章を書いて、人様が読めるように清書するときに、頭のなかでは「に」と書こうと思っているのに、それも見ながら書いているのに「も」と書いてしまったりしています。漢字も同じで、別の字を書いてしまいます。で、家内にこのことを話しますと、「あなたの頭のネジがどこか緩んでいるから別の字が出てくるのよ」と相談にもなりません。

吉田様、大変申し訳ございません。やたらと修正ばかりで。

修正と言えば、先日、家内が大変面白い表現をしました。それは、アメリカの味、という言葉でした。

さぁ~、皆様方はこのアメリカの味で、何を想像なさいますか?

前にも書きましたが、アメリカに行ったことがないのに、家内の云ったアメリカの味が妙に納得させられたのです。この文章を読んで頂いておられる方々は、年齢も経験もさまざまな方々。皆さまにとってのアメリカの味を推察させて頂くのも、ちょっと楽しいです。

人は急な変化に出会うとなかなか修正するのが難しく、また歳を重ねれば重ねるほどに難しくなるようです。

また家内の話で申し訳ございませんが、家内が1969年の正月に、兄に黙ってヨーロッパ旅行に行ってしまいました。東京では兄が「静子はどうした。正月なのに。知ってる?」と周りに聞くのですが。皆は黙って「うん、知らない」と答えていたそうです。さもあらん!!兄のことなど考えずに。

その静子が、ローマのコロッセオ、それも廃墟のコロッセオで、急に背後から。「月賦でも良いよ」と声をかけられ一瞬、「え、何に。何なの。この人は」。ちょっと駆け出し、振り向くと、そこにはイタリア人のお土産屋さんが立っていました。誰か日本人が教えたのでしょうが、日本人観光客の足を止めさせるのに、月賦とはよく云ったと思います。

そう、あの時代が分割払いの始まりで、月賦と云っていました。特に有名だったのは、東京では、丸井とみどり屋というデパートでした。

今、家内が、「そうそう、和装の着物も分割だったわね」と。今ではリボ払いなんて云っていますが、月賦です。

ちょっと話がそれましたが、私も1回同じようなと云うよりも、暁星で同じクラスだった丹野君と、パリのモンパルナスでタクシーに乗りました。

丹野君のおじさんがホテルマンで、彼もボーイになりました。唯一、私たち二人が私たちの学年で大学に行かずに就職したのです。彼は東京のホテルで2年働いてから、パリのGeorgeⅤ(ジョルジュ・ブイではありません。ジュルジュ・サンクです。一度、シャンゼリゼ通りで、ご年配の方から「ジョルジュ・ブイはどこですか」と聞かれました。)で、ボーイをしておりました。

タクシーに乗ったときにびっくりしたのは、運転手が女性で、それも振り向きながら「お客さん、どこまで」と綺麗な日本語で言われたのです。丹野君も私も、すぐには言葉が出ずに「オ、オペラに」と答えました。

道中、話を聞くと、仙台のDonqドンク(パン屋さん)で3年いたそうです。このときに、世の中は狭いと思いました。それも東京ではなく、仙台とは。

狭いと云えば、ずいぶん前に書いた日本大使公邸の門番をしていた清水さんの話はもっと面白い話でした。

この人の本当の正体は、不明。

中国生まれ。→小学校のときに日本へ。日本語が話せずに中国語と英語。悪い子供が居て、吃ること、教わる。→おじさんが心配して山形の分校へ。→中学は横浜へ。山形弁で散々バカにされ防衛大へ。そして東大。日本政府に就職。→国連へ。→世界を点々と。

私とは大使公邸で知り合う。そして、色々と教育をしてくれました。

この彼が、オーストラリアのメルボルンでの話、休みに友人とドライブへ行ったときに、山道に入ると、前に金髪の白人が運転するオープンカーがのろのろ運転で、なかなか抜かせてくれなかったそうです。ようやく追い越し際に「この馬鹿野郎!」と声をかけると、その金髪の青目が「なんじゃい。このドアホーが!」と、流ちょうな関西弁が。

車を止めて話すと、何と大阪生まれの23歳のアメリカ人。しかも日本語しか話せない。ご両親が彼のことを考えて、英語が話せるように、仕事をオーストラリアにしたのですが、彼は友人も出来ず、ノイローゼ気味になり「早く日本に帰りたい」と云っていたそうです。

人は見た目で判断してはいけませんよね。本当に。

ここで先に書いたアメリカの味。それは、からしです。あの黄色のマスタードです。

アメリカ製で、HEINZハインツの黄色いマスタードです。一口にマスタードと云っても、それぞれの国の産地や風土に合った味の違うマスタードがあります。

日本のは、カタカナのマスタードではない、からし。おでんにちょっと付けて頂くと、おでんの具に何とも云えない奥行きが、口の中に広がります。ハインツのマスタードに30数年ぶりに、東京は渋谷のハンバーガー屋さんで出会いました。

そのときはそんなに感じなかったのですが、広尾にあるスーパー、ナショナル麻布で、あの独特な形の黄色の瓶を見たときに、勝手に手が伸びてスーパーの籠に入れていました。

いつも同じスーパーで、同じものを買って、作る人も同じなので、自分たちの味に飽きていたのです。それで違う味に手が伸び、その日の夕食にホットドッグを作り、早速登場してもらいました。

ここで家内の出番で、アメリカの味が出たのです。

いつも作るホットドッグは、いつものマスタード、フランスのディジョンマスタード。ここに30数年ぶりの味、まさにアメリカ!! 行ってもないのに、アメリカを感じました。

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