1 概要
3月25日、政府の地震調査研究推進本部は、日向灘では30年以内にマグニチュード7.0~7.5程度の地震が80%程度の発生確率があるという評価を発表した。
M8以上の巨大地震の可能性の評価は「不明」であった。
地域レベルで備えるべき地震に対して注意を喚起し、国土強靱化地域計画作成の根拠を付与したというところか。
2 日向灘での地震
宮崎県と大分県の沖合にあたる日向灘の海域では、十数年から数十年に一度(1919年以降、平均20.6年に1回)の割合で、繰り返しM7レベルの地震が発生している。
日向灘を震源域とするM8以上の巨大地震が発生した記録はないが、1707年の宝永地震(東海・東南海・南海連動型地震)が日向灘地震と連動し、M8以上の巨大地震となった可能性が指摘されていた。
地震調査研究推進本部が南海地震との連動で挙げている日向灘震源の地震は、次の通り。
① 1968年4月1日 M7.5
延岡市、宿毛市で震度5を観測。死者1名、負傷者15名。
高知県・愛媛県で被害が多かった。
四国で到達高3m以上の津波を観測した。
② 1662年10月31日 M7.6
日向や大隅で死傷者多数。
津波の高さは、宮崎で推定4 – 5m、日向灘では史上最大級であった。
城や家屋の破損、山崩れが発生した。
宮崎では、「外所地震(とんところじしん)」とも呼ばれている。
飫肥藩の家老が「日向の国地大いに震し、且つ、津浪俄かに来たりて・・・古今未曽有の大災なり」 と記していて、死者200人、家屋の倒壊が3800棟に上ったとされる。
被害を受けた宮崎市熊野では、住民が50年ごとに石碑を建てて、教訓を伝えているという。
また、海岸近くにある宮崎市の一葉稲荷神社は、「海の方、津波がこちらから来るから、守り神として海岸の方を向いている」と伝えられている。
それだけ大きな被害とショックがあったということだろう。
3 日向灘~南海~東海地域を震源域とする地震
1498年、1707年は、南海と東海で、同時に起きたケース。
1854年と1944年・1946年は、両地域で、若干の時間差が生じたケース。
〈参考〉
南海トラフ地震活動の長期評価(第二版)甲A第136号証の1.pdf (ikata-tomeru.jp)
日向灘及び南西諸島海溝周辺の地震活動の長期評価(第二版)概要資料 (jishin.go.jp)
【特集】日向灘でM8級地震発生の可能性 外所地震の研究進む・宮崎県(MRT宮崎放送) – Yahoo!ニュース
かだいおうち Advanced Course (kagoshima-u.ac.jp)
災害の歴史 No.8~1914年1月12日~ 大正の桜島大噴火 – 一般社団法人災害防止研究所 (saibouken.or.jp)