日本では、小学校から中学校、高校、大学へと進むにしたがって、受験という入学試験のフィルターを通じて、一定レベルの素質がある人たちを選別していきます。就職するときも企業は、自社に適していると思われる人材を選別しますから、さらに同質の人材が集められることになります。
知らず知らずのうちに、同質、同レベルの人間の集まることが当たり前になってしまい、「誰でも皆、能力は同じだ」と言う人がでてきます。そういうシステムのなかで育ってきたから、異質な人と接する機会がなかっただけなのに、本当に「皆、人間の能力は同じだ」と信じ込む人がでてきます。
しかし,実は人によって能力はバラバラで、まったくと言ってよいほど能力の異なる人たちがいるのですが、そういう人たちに接する機会がなかっただけなのだということに気がつきません。
ところが自衛隊は、入ってくる人間を選択するのですが、健康か健康じゃないかというぐらいが選考基準で、選択の間口がやたら広いのです。
私が最初に赴任した部隊でも、自分の父親よりも年をとった者から高校新卒までの部下がいましたし、出身地もばらばらで、全国から集まっていました。とにかく何より、個人の能力差が凄くて、お金の計算ができない人だけでなく、誰かが常に面倒をみなくてはいけないので、まるで副官をつれている将軍のようだというので「将軍」と渾名されている人もいました。言われたことも満足にできない人がいて、それが当たり前でした。
学歴は中卒から大卒まで。家庭環境もバラバラでしたし、前職がバスやトラックの運転手、会社員、教員、プータローもいました。こういう人たちが集まって、約120名の中隊という組織が動いていました。
多様性というか、何というか・・・・当時、女性はいませんでしたが、人種が違うようなものです。
それをまとめながら動かしているのがスゴイところで、何がスゴイのかというと、与えられた限られた人・物・金の資源でするのが仕事なのだと、皆、割り切っているのです。
どうやって仕事をするのかが仕事であって、それでどうするのかが、仕事ができるかできないかの別れ道だ、というのです。
だから文句を言う人がいなかった、というよりも文句を言う人がいたら、その人が周囲の者から「文句を言う暇があったら、どうしたら良いか考えろ」と、逆に文句を言われる雰囲気がありました。
文句を言えばキリがないし、文句では何一つ問題は解決しません。
面白いことに、どうやって仕事をするかを考えていると、究極、できない者をどう使うかというところに行き着くのです。与えられた資源のなかで、自分たちの自由に扱えるもので、融通が利くのは人しかないのです。
できることをやらせなくてはいけないから、マニュアル通りではなく、役割分担(システム)を工夫する。
物がなければどうするか。あるものを改善して使う。創意工夫して自分で作る。物に頼らないように、仕事のやり方を工夫する。
仕事のやり方も人に合わせて変える。優先順位を考えて省略し、あるいは簡素化して、重点指向する。あきらめるものもある。
中途半端にしていると、何の役にも立たなくなることが目に見えているから、分かるまで教えて、できるまでやらせているのですが、そうすると、できる・できない、分かる・分からない、良い・悪い、好き・嫌いなどをハッキリ言うようになって、コミュニケーションが良くなり、不思議と人が育ってきます。意志のあるところで人は育ちます
できることをできるようにしているだけだったのですが、それで一人ひとりの個性が際立ってくるのです。
その後色々な部隊を見ましたが、私が最初に赴任した部隊は、最も個性豊かで、多様性に富んだ組織でした。その原点は、すべてを受け入れたうえで、「どうやって仕事をするのかが仕事なのだ」と割り切って取り組んでいた地道さや真摯な態度に行き着きます。
最近、「多様性を大事にする」と言いながら、「ただ単にわがままを許しているだけじゃないか」と思うことがあるのですが、できることを追求していった結果として残されたものが個性であり、それを認め合うところに多様性があるのでしょう。