684年11月29日に発生した白鳳地震が、記録されている最古の南海トラフ地震である。
古事記の編纂が始まったのが712年、日本書紀は720年だから、口伝として伝承されていた話が、文字として記録されたのだろう。
日本書紀には、諸国で多くの建物損壊や土砂災害があったこと、液状化を連想させる記述、伊予の温泉(道後温泉)が枯れたこと、土佐の田畑が海に没したことなどが記されている。
古事記が編纂されるまでは、語り部が昔に起きた出来事を物語として、口伝で語り継いでいた。
記憶されるとき、自然現象は擬人化されて表現し、現実に起きた出来事と合わせて、記憶しやすいようにストーリーが作られたのだろう。今の記憶術と同じである。
天体の天文現象と地球上で起きる気象現象と、それらの影響を受けながら育まれる地上での生命の営みを異なる世界のものとして、明確に区分しながらも、大きなエネルギーのつながりとして語っている。
驚くべき洞察力と本質を鋭くとらえる知性、あらゆる現象を組み合わせる緻密さ、そして物語を作り出す感性のコラボレーション、表現ではないか。
当然、その物語によって、価値あるものを後世に伝えようとする。
混乱の続く時代のなか、694年に藤原京に遷都し、701年に大宝律令を制定、710年平城京遷都と続き古事記、日本書紀が編纂され、世の中が安定してくる。
伊勢神宮の式年遷宮。
この制度を定められたのは白鳳地震の翌685年。
技術を伝承する知恵だと言われるが、定められるには定められるだけの理由が要る。
背景には、繰り返し、起こる大地震や火災などの自然災害への対応という現実的な必要性があったのではないか。
こういった自然現象によってもたらされるリスクや変化への対策の積み重ねが、智恵となって日本人を成長させてきた。
変化への対応は、チャンスであり、社会や人間に成長をもたらす。
そのときに、リーダーシップが生まれてくる。