日本の経済は、ここ2~30年、停滞してしまっている。
日本を誇る声はよく聞くのだが、その割には、芳しくない。戦いだとすれば、負けているのではないだろうか、勝っているのだろうか。
戦争であれば、敵の弱点や意表を突いて潰してしまうか、自分の意志を敵に強要するのだが、平時にはそうもいかない。一定のルールにしたがって、平和的な競争の下に戦わなくてはならないし、できる限り、共存共栄を目指していかなければならない。
戦時の発想しかない者は、相手の弱点ばかりを見ようとして、長所を見ようとしない。見ないことはないのだが、その長所を対策・処置で押さえ込もうとする。
平時の戦いは、相手の長所を取り入れて学ぶ競争である。良いと思ったらすぐに取り込んで、自分のものにする。情報戦である。
同時に、自分たちの長所を活かしつつ、新しいものを生み出すことである。新しいものは、自然科学によって生み出されるのだが、人文科学、社会科学を含んだすべての分野で受け入れられて、人間の行動様式、生活様式、社会全体のシステムの変革につながっていく。
新しいものが生まれるということは、古いものが廃れていく可能性がある。そのなかで生き残ったものが発展していく。
どうやって良いものを残し、良いものを発展させながら、新しいものを取り込んでいくか。
平時の戦いは、自己変革の戦いでもある。
一方、廃れることを受け入れなくてはならない。
平時の戦いは、他者よりも早く変化することができるかどうかが鍵になる。
日本の良さは、弛まぬ変化を受け入れてきたことであり、新しいものを受け入れながらも古き良きものを残してきた柔軟性にある。過去、その時代、その時代に優れたリーダーシップを発揮する人が現れてきたと思う。
自然に変化することを待っていたのでは、遅れをとってしまい、他者の後塵を拝することになる。待っていては、間に合わない。先取りしなければ、勝ちにつながらない。先取りしたものが、総取りする結果になる。
学び、先取りして、発展させ、変化していかなくては生き残れない。
皆、そのことに気がついてきたのだが、個々の組織、一人ひとりがそうしていかなければ、社会全体は変わりようがない。