1 概要
① 20世紀最大規模の大噴火で、噴火前に1745mあった標高は、噴火後に約900m低くなり、直径3kmのカルデラ(底の標高850m)が形成された。数の白い部分が吹き飛んだ。
② 「ピナツボ」とは原住民アエタの言葉で、「成長する山」を意味するのだが、1991年以前の最後の噴火は約500年前で休眠状態にあった。
地元住民に大噴火の言い伝えは無く、ほとんど知られていない火山だった。
③ 前兆現象から、噴火のピークを予測できたため、噴火のピークを予測することに成功し、事前に、周辺地域から数万人を避難させ多くの人命が救うことができた。
④ 1992年以来、噴火していない。
2 特徴
① 被害
死者847名、行方不明者23名であったが、被害者総数は120万人に達し、噴火後約7年間、火山泥流が発生し続けた。
② 前兆
1990年7月16日ルソン島中央部で、マグニチュード7.8のバギオ大地震が発生、1991年4月以降、小規模な噴火、火山性微動等が頻発した。
火山学者が古い火山堆積物を放射性炭素年代測定にかけ、大規模な爆発的噴火がおよそ5,500年前、3,500年前、500年前の3回起きていたことが判明した。
③ 避難
大噴火が迫っていることを示す徴候を前にして、噴火のピークを予測し、6月15日までに、火山から30km以内の地域にいた6万人すべてを退去させた。
④ 台風
6月12日以降大爆発を繰り返し、6月15日にピークを迎えたが、火砕流と火山灰の降灰に加え、6月15日に北方75km付近を通過した台風による大雨で、大規模な火山泥流が発生し、田畑、集落、街を埋没させ、数千戸の家屋が倒壊するなど被害が拡大した。
⑤ 影響
噴火の影響は世界中に及んだ。
噴火によって、硫酸塩エアロゾルが3週間で地球を取り巻き、北半球全域へと広がり、1992~93年の世界の平均気温は0.4度低下し、北半球では0.5~0.6℃低下した。
その影響で、1993年、日本では天候不順による冷害のため、米の生産量が記録的に減少し、大量の外米を輸入することとなった。食料市場の混乱は世界の米市場にまで波及した。
3 教訓等
① 専門機関の知見の活用による避難の実施
フィリピン火山地震研究所 (PHIVOLCS Philippine Institute of Volcanology and Seismology) とアメリカ地質調査所 (USGS United States Geological Surveys) から派遣された調査チームが、噴火の徴候が見え始めた頃から共同の火山観測を行い、大規模噴火を事前に予測し、山頂からの距離に応じて3つの避難地域が指定した。
〔米軍のクラーク空軍基地(火山の東約40km)、スービック海軍基地(火山の南西75km)があったことが、円滑に、フィリピン火山地震研究所とアメリカ地質研究所が緊密に連携できた要因ではなかったか。〕
② リーダーシップ
特に、PHIVOLCSのレイモンド・プノンバヤン(Dr. Ray Punongbayan)所長の学識と経験と優れた決断力に裏打ちされた指導力が素晴らしかったと伝えられている。
③ 長期的な復興支援
2年後から調査団が入って約3年間の調査、検討をした後、土木、治水等による災害復旧事業(約7年間)が概ね終了するのは2003年、日本政府とJICAの水防関係の長期派遣職員は、2010年までの長期にわたって派遣された。
〈参考〉
歴史的大規模土砂災害地点を歩く – いさぼうネット (isabou.net)
鎌田浩毅の役に立つ地学:「温暖化」を超えるインパクト 寒冷化を引き起こす大噴火 | 週刊エコノミスト Online (mainichi.jp)
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