全般

東日本大震災後、初めて福島県の双葉町、浪江町を訪れた。

前参議院議員で、2012年から約5年間、復興副大臣務められ、2022年夏に勇退した後、双葉町に移住された浜田昌良さんにご案内いただいた。

浜田さんには、2022年秋から災害防止研究所の理事に就任していただいている。

浜田さんは、約5年間の在任中、福島県内に常駐した期間は通算1000日を超えたそうだ。移住後は、官民合同でつくる福島相双復興推進機構と連携し、経営に悩む事業者の支援をする他、復興に向けた活動に取り組まれている。「避難指示解除が一番最後だった双葉町の復興が進めば、福島の復興もうまくいくはずだ」と仰られているのだが、それ以上に、国の福島復興事業と現地とをつなぐ象徴的な存在として、重要な役割を果たしていらっしゃるように感じられた。

 震災遺構浪江町立請戸小学校

東日本大震災当時、通っていた93名(うち、1年生11名は帰宅していた)の児童は、教職員の迅速な判断と児童の協力により、奇跡的に全員が無事に避難できた。

校舎内には、救援活動にあたった陸上自衛隊隊員のメッセージが残されていた。

震災後、11年が経ち、伝承施設、遺構そのものが朽ちつつある。

3 東日本大震災・原子力災害伝承館

  情報としてよくまとめられていて、分かり易い。一見の価値のある伝承館だ。

4 所見

 伝承施設として遺構を残すこともまた、復興以上に難しいと感じた。

 請戸小学校は、誰も亡くならなかったから残すことができたと聞いた。人が亡くなった施設では、残すか残さないかの合意をとることが難しいという。請戸小学校では何を伝承するのか。

 身内や親しい人を亡くした方々、被災した方々、難を逃れた方々、まったく災害に会わなかった方々、それぞれの思いがあり、受け取り方が違う。

 双葉町には、産業交流センターや工業団地なども逐次、整備されている。先端技術開発拠点としての施策も始まっている。復興に結びつくと考えられることや人々の期待に応えられる施策には片っ端から着手し、希望の種が撒かれているように思われた。

 しかし、被災地域で産業や事業を興しても、周辺地域から通勤して就業する人たちが多く、被災した地域に戻る人は少ない。双葉町に戻った住民は、まだ約50名とのこと。

 少子高齢化による過疎は、災害とは関係なく進んでいる。発展するためには、夢がいる。震災の教訓を夢に結びつける努力が始まっている。

夜の双葉駅前

このロゴマークは、「過去と未来の双葉町を表現した色違いの二つの葉を、手のひらでやさしく包み、ふるさとへの想いを抱きながら、新たな双葉町を大切に育てていこう」という意思を表現しています。