防災では、地震に対処することができるのだという前提で語られることが多くあります。
その発想の典型的な良い例が、東日本大震災の「1000年に一度の地震で、予測されたものであった」という主張に表れています。
予測されたもの、すなわち「対処が可能であった」という主張です。
歴史を振り返ったとき、間違いではないが、「正しい」とまでは言えないように思います。
地震は、地球の深部で柔らかい性質を持っている地球が、回転することによって生じる物理現象です。地球の表面を覆っている固いプレートが少しずつ移動しています。
地球の内部から噴き出してくる溶岩が地表面に現れて冷えて固くなり質量が増えて重くなる。そのプレートが移動し、他のプレートの下に潜り込んで、また地球深部へと押し下げられていき、そのときに生じる歪が、地震を生むと考えられています。
太平洋プレートは約9㎝/年ずつ西方向に、フィリピン海プレートは約5㎝/年ずつ北西方向に、ユーラシアプレートは約5㎝ずつ東方向に動いています。
この動きは、GPSによる観測で、かなり正確に把握されるようになってきました。
起こるかもしれないということは分かるが、正確な予知はできない。
残されている地球上の歴史的な痕跡や観測データなどから、どこで起こる可能性が高いか、その変化位は分かる、ということです。
それで地震が予知できるようになったのかというと、未だできません。
例えば、マグニチュード9レベルの地震が起こると、地軸がごくわずかズレたと報告されています。つまり地球のどこかで大きな地震が起こると、プレートのバランスに変化が生じ、地球の回転運動が微妙に変化してしまうのです。
しかし、警戒や警報が発せられるようになると、いかにも災害に対処できるかのような印象を持ってしまいます。
私たちが地震への対処をするにも、できることとできないことがある。
天体の働きや地球の動きによって生じる現象を人間がコントロールすることは、できないのです。できたとしても、一時的なものでしかありません。
それをはっきりと認識していないと、ただ不安を募らせるばかりになってしまいます。
また、自分の生活のためだけに完璧すぎる対策を求めると、現在の生活に不便や無駄が生じたり、かえって自然環境との調和を崩してしまったりします。
私たちは自然を完全にコントロールすることはできないのだから、自然環境の変化に適応していかなければなりません。私たちが少しずつ変化して、環境の変化に対応していかなければなりません。
そのために知恵を働かせ、新しい技術を開発しながら、生活を改善するのです。
まずは、自分ができることは何か(自分自身の選択や決心で解決できること)を考えるのですが、そのとき、長期的な視野で考えるべきことと短期的視点で実行すべきことを区分します。
長期的視野で考えることは、例えば、住む場所、ライフスタイルを選ぶことになります。
- 大地震や大津波が予想される地域には住まない。
- できるだけ地盤が強固な高台に住む。
その次に、住む場所が決まったならば、そのライフスタイルを守るために、何をどのように対処するかを考えます。
- 建物が倒壊しないように、補強する。
- いつ逃げなければならないか、逃げる条件を決める。
- そして、一時的に逃げる(避難する)準備をする。
- 地震で、落下物がないように室内外を片付けておく。
- 火災を起こさないようにする。
最悪の事態だけは避けるように、優先順位を考えて、万全の準備をすることが大切です。
地震でも水害でも土砂災害でも、どのような災害にでも、必ず準備するべきことがあり、そこから創意工夫、成長や進歩が生まれます。