(5) 昭和時代(戦後)
戦時体制下の「警防団」は、1947年「消防団」として再出発した。
明治以来警察機構の中にあった消防は、1947年「地方自治法」施行にともない、市町村長が「自治体消防」として消防の組織と運営の管理に当たることとなった。
57都市、133消防署、消防職員約2万人の体制で、消防の考え方を消極消防(消火)から積極・予防消防に転換した。
1948年「消防組織法」に基づいて「国家消防庁」が発足。
1952年には「国家消防庁」を「国家消防本部」に改組した。
伊勢湾台風の教訓を得て1961年災害対策基本法を公布にともない、消防法が改正され、災害の防除と被害の軽減が消防の任務(防災活動の第一次責任者)とされた。
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同年「消防力の基準」により消防力整備の目標が明確化され、1963年には消防法で救急業務が法制化され、救急体制の整備が始まった。
1965年以降、一部事務組合方式や事務の委託方式を活用して、数か市町村単位でまとまった消防体制をとる広域化が進められた。
1975年消防本部及び消防署を置く市町村に救急業務を実施できる体制を整え、1986年には救急隊設置を法制化、救急業務の対象を明確化し、応急手当の根拠が定められた。
同1986年、国際消防救助隊が結成され、国際的な活動に取り組むこととなった。
(6) 平成時代
1995年阪神淡路大震災では市町村や都道府県レベルの消防力では対応できなかったため、全国的な広域応援体制を整備するため緊急消防援助隊を創設することとなった。
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緊急消防援助隊が逐次整備され、2004年には消防庁長官が緊急援助隊の出動を指示することが出来ることとなった。
1995年の地下鉄サリン事件をきっかけに、特殊な技能を持った災害対応能力の整備が求められることとなった。
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1999年、総務省の外局に消防庁が設置された。
2004年、武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律が公布されると、2005年には消防庁に国民保護・防災部が設置された。
2008年、武力攻撃事態等における安否情報収集・提供システムの運用が開始され、2012年北朝鮮から発射された弾道ミサイルが日本上空を通過した際、国民保護に関連する事案でJアラートが初使用された。
2011年3月11日に発生した東日本大震災では、発災から6月6日までの88日間、44都道府県の712消防本部から3万人を超える消防職員が、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、千葉県、新潟県、長野県及び静岡県の8県に派遣され、緊急消防援助隊として応援活動を実施した。
その活動は高く評価された一方、あらためて多くの課題が明らかになった。
地域防災力強化の必要性が再認識され、2013年、「消防団を中核とした地域防災力の充実強化に関する法律」が公布・施行された。
【まとめ】
昭和時代(戦後)に現在の消防の骨格が固まった。
第一の柱は、地方自治法施行にともない、自治体消防としての役割を担うようになったことで、市町村長が消防の組織と運営の管理に当たることとなったことだ。
第二の柱は、災害対策基本法公布にともない、災害の防除と被害の軽減が消防の任務と規定(防災活動の第一次責任者)されたことである。
そして、1995年の阪神淡路大震災以降、都道府県を超えた全国的な広域応援体制により大規模災害対処能力を整備することに努めた。
期待の高まりにともなって、市町村消防を超える役割を求められるようになり、多くの解決困難な課題が生じてきた。