そもそも災害対策基本法は、国家的な危機事態となる大規模災害を想定した法律ではない。災害対策基本法の「市町村第一主義」と、防災活動の第一次責任者と位置づけられている消防組織が「市町村消防を基本」としているという制度そのものが、国家的な危機事態となる大規模災害への対処を難しくしている。

これから数回にわたって、日本の防災体制の制度に基づく問題点を考察する。

1947年9月利根川、カスリーン台風による浸水(国土交通省関東地方整備局)

【はじめに】

終戦、米国占領統治後、中央集権的な統治機構よりも地方自治を重視した国内体制を整備すべきという雰囲気のなか、1947年のカスリーン台風、1952年の十勝沖地震、1954年の洞爺丸台風などへの災害対策の総合的な制度制定の動きが生まれてきた。まだ戦争体験のある国民が大多数を占め、国民一般の危機管理や地域における互助の意識が高い時代でもあった。

甚大な被害をもたらした1959年の伊勢湾台風を契機に、1961年災害予防から応急対応、復旧・復興までを考慮した体系的な枠組みの災害対策基本法が成立した。

災害の初動における住民対応を重視し、地方自治の原則に則り「市町村第一主義」の基本原則にしたがって対処し、それを国の総力を挙げて支援することとした。

阪神淡路祭震災以降、多くの大規模災害対応上の教訓、課題とされているのは、災害対策基本法の制度上の根本(制定した当時の狙いと言っても良いだろう。)にある「市町村第一主義」から生じている。そして問題解決をさらに難しくしているのは、防災活動の一次責任者である消防が「市町村消防を基本」とした組織だという点にある。

制度設計当時の前提とは異なる大災害、国家の危機的事態への対応が問題になっているにも関わらず、「対処療法的」に改善しようとするため、関係機関の行う精緻な対策が絡み合うことになり問題の解決がより難しくなってきている。

災害対策基本法の原点をふり返りつつ、被災者の生命の保全に関わる災害応急対策の段階においてどのような問題があるのか、日本の防災体制の現状と課題を整理する。


1959年9月伊勢湾台風、名古屋市南区(愛知県)

1 防災体制の基本的考え方

災害対策基本法には「指揮」の概念がない。関係機関の「調整」によって、国を挙げて被災市町村を応援することを災害対応の基本としている。災害対応の結果に対して、誰にも責任を持たせない制度を作り上げている。 

(1) 特性

災害対策基本法では、被災市町村が一義的責任をもって対応する。

被害の最小化と迅速な回復を図るため、国と都道府県と市町村の三者が一体となって連携し、被災市町村を応援して、災害対応を実施する。

市町村の対応能力を超えた大規模災害では、都道府県が法定受託事務として区域内の関係機関の防災業務を調整して支援し、被災市町村を補完する。

都道府県の対応能力を超える場合、国は、自衛隊の派遣、緊急援助隊の出動を指示するほか、災害対策本部を設けて災害応急対策の実施方針を決め、地方公共団体等の防災対策を推進するため、関係機関の活動を総合調整する。

これが災害対策基本法の基本となる考え方になる。

(2) 問題点

被災市町村が対応の第一義的役割を果たし、都道府県や国は、総力を挙げて被災市町村を支援、補完して災害に対処する。このとき、市町村長も都道府県知事も内閣総理大臣も、災害応急対策を実施する関係機関を指揮する権限はなく、それぞれのレベルで関係機関の活動を総合調整するにとどまる。

災害対策基本法は、被災市町村の対応能力を超える災害においても責任者を明確にせず、関係機関の連携によって災害応急対策を行わせる、という根本的な問題がある。法律上、誰にも応急対策を指揮する能力と権限が担保されていない。 

災害応急対策には、緊急を要する判断と迅速な対策処置が求められる。災害対応組織の在り方や、指揮権限と責任の所在を明らかにせず災害応急対策に係る課題を解決することはできない。