たしかに複数の人がいれば、組織は生まれます。しかし、それは何か一つの目的や目標に向かって動こうとするから生まれるのであって、ただ単にそこに人がいるから自然発生的にできるものではありません。
組織を作るには、お互いを“信じる”ことができることが不可欠です。
お互いを信じ合える組織を作らなくてはいけない、と言うと皆、「そうだ」と答えるしかないのですが、これが難しいのです。
共同体の概念区分で、血縁、地縁、友情などにより自然発生的に生まれた社会集団をゲマインシャフト。機能的、利益追求的に生まれた社会集団をゲゼルシャフトと言われていますが、集団が組織となるためには、共通する目的や目標が必要です。
自然発生的な集団も、目的や目標があると、自然に役割分担が生じて、機能的な組織になっていきます。機能的、利益追求的な集団も、目的や目標がなければ、ただの寄せ集めにしかならず、すぐにバラバラになってしまいます。
人の意識や心を何かでつなぐ接着剤が必要になります。
例えば、「助け合え」と言ってはみても、疲れてくれば他人の面倒などみていられないというのが正直なところで、人助けをしてもそれで自分が動けなくなれば、笑い話にもなりません。いっそ倒れてしまえばいいのだが、そこまでは分からない。
「頼むから、自分のことは自分でちゃんとやってくれ」というのが偽らざる本心。
「身の危険を顧みず任務を遂行する」のが当たり前だと思われている自衛官だって同じです。極限に近づけば近づくほど、厳しい局面になるほど、本性が出てきます。
20~30kgの荷物を背負って、眠らず、食うや食わずで山中を移動するレンジャー。
バテた者を助けてやらなければいけないのは分かっていても、自分がヨレヨレになって動けなくなるかもしれない。
助けられて元気になって、最後に頑張った者は「大したものだ。よく頑張った」と褒められるのは、よくあるパターン。それは良いとしても、「ええカッコするからそんなことになるんだ」と言われるのは辛い。そんな心の声が聞こえるのです。
これが人の常。
微妙な心の動きを分かったうえで、どうやって当たり前に、お互いを助け合うチームを作っていくのか。その努力の積み重ねが、「信じる」に通じます。
言うは易し、行うは難し。
正しい答えはありません。
「助ける」ことだけに焦点を当てていては「信頼」は生まれません。助ける者と助けられる者の関係を作っては、チームは生まれません。チームとして、一人ひとりの存在を必要としていることが不可欠です。
そして最後の最後まで、自分の力を出し切るまで努力する姿を見せるようになって、その姿に対して尊敬の念が生まれて初めて、「助け合う」姿勢が自然に出てきます。
「自力の後に、他力あり」とは、よく言ったものです。
そういう仕事に対する責任や任務、役割を意識していると、お互いの仕事(機能)に対して尊重する姿勢、尊敬の念が生まれてきます。そのような気持ちが持てない仕事は、根本的に仕事の役割を見直すべきでしょう。
最近までは、困難に耐えて打ち勝つ資質(レジリエンス)について、語られることがほとんどなかったように思います。あっても、精神論でした。
養うことができるもので、決して派手ではない、小さなことの繰り返しと積み上げで、少しずつ意識は変わっていきます。私が取り上げているのは、意識論です。
意識改革ができるからこそ、誰でも、強い部隊や強い組織を作ることができるのです。
それがリーダーの真骨頂です。