以前、私が連隊長をしている当時の、レーザー交戦装置(通称バトラー)を使った戦闘訓練で、圧倒的な強さを発揮した話をしました。
当時、隊員にはこのバトラーが不評で、「射撃しても、当たらない」「当たっても、反応しない」「誤作動する」装置で、まったく役に立たないと思われていました。ですから、「それを使って戦闘訓練の競技会をやるなんて、馬鹿げている」という反応が、各部隊の隊員から出ていました。
正規の装備品ですから、面と向かって言うものはいなかったけれども、個人的に話をすると皆一様に、そういう反応で、訓練に真剣に取り組もうとしませんでした。
レーザーの光線が曲がって飛ぶわけじゃなし、直径3cmもあるセンサーを腕や身体や足につけているのだから当たらないはずがありません。「取り扱い方の問題じゃなかと思うから試してごらん」と言って、自分たちで確かめさせました。
その結果、「レーザーのビーム幅が広いので、小銃の射撃よりもよく当たります」「照準規制をちゃんとして、行動間に装備のズレないようにチェックすれば大丈夫です」「使える」という報告がありました。レーザーなので、どの位の射距離まで有効かも、実際に確かめてもらいました。
使用者自らが装備品の実用試験をして、採用を承認したと思ってください。
バトラーが有効だと分かると、今度は、戦闘訓練で教わっていたさまざまな戦闘技能が有効だということに気がつきました。陸上自衛隊の教範は、旧日本軍から受け継いだ戦闘ノウハウをベースに、米軍の実践経験をとり入れて作っていましたが、訓練では実際に弾が飛んでくるわけではないので、それほど真剣味はありませんでした。しかし、バトラーをつけて戦闘すると、それが分かったのです。
戦闘訓練で教わった基本を守って行動していると、ほとんど殺られることがないのだと。
小隊全体、班、組、個人レベルで、射撃と運動と相互支援の有効性を、より強く意識するようになりました。
迫撃砲の弾を素早く正確に要求することが、自分たちの行動の自由度と安全性を高めることを理解し、全員ができるようになりました。
技術的な話をすると面白いのですが、専門的な話になってしまいますので省略しますが、アドバイスをすることで、隊員達がこの一つのシステムを自由に使いこなすようになっていきました。高いレベルの戦闘技術の積み重ねの結果であって、パターン化した戦闘技術ではありませんでした。
この瞬間に、日露戦争以来生き残っていた“突撃”は、過去のものとなりました。
銃剣をつけて突撃するよりも、確実に射撃を繰り返した方が、生き残る可能性が高いからです。小銃の弾は400mが有効ですし、隠れている敵には数十メートルの範囲をカバーする迫撃砲の弾を撃つことが出来るのですから。与えられた時間との勝負で、わざわざ、賭けをするような行動を選択する必要はありません。
別に“突撃”を止めることを意識したわけではなく、より確実な方法を選択した結果、そうなっただけのことではありましたが。
コレって本当に凄いことなんですヨ。
これに対して、このバトラーを「信頼」していない部隊は、皆一様に、突撃を繰り返していました。そして、戦闘競技会で敗れたあとも、装備の不具合を敗れた理由にしていました。
不平不満の対象にしていた装備の性能を確かめて、信頼できるものを見いだす。
不平不満の原因になっていた点を改善し、信頼度を高める創意工夫をする。
試行錯誤しながらより信頼度の高い、確率の高いやり方を開発する。
企業的に言うと、生産性を高めた、ということになるのですが、それを自分たちで考えながらやるので「信頼」というより大きな価値が生まれるのです。
余談ですが、この訓練を視察した多くの人たちは「突撃をなくしてしまうような訓練は、好ましくない。訓練をゲームにしてしまった」と評し、隊員が兵器システムを運用して戦っていることを理解してくれませんでした。残念!!
こういったことは、どこにでもある話です。
日本の代表的なコンサルタント会社の方から、面白い話を聞きました。
改善方向として、「きちんと情勢分析をして計画を策定し、情報の分析結果を逐次に反映して計画を修正しながら組織を動かす」「そのためには情報の共有が重要だ」という当たり前のことを経営陣に報告すると、どこの会社も皆、口を揃えるように「うちは軍隊じゃないんだから、そんなことはできない」という反応が返って来る。それが8割以上もある。
8割以上ということは、ほとんど全部なのでしょう。
以前、自分が間違っているのかも知れないと思って、それができている数社の会社を訪問して、「どう思うか」尋ねたところ、逆に「その会社は、どうやって経営しているのだ」と驚かれた、というのです。
足元を見て、一つひとつのニーズを改善していけば、必ず大きな変革と「信頼」につながります。目の前の小さな改善と「信頼」が存在しない限り、大きな変革はあり得ません。
あるいは、長期計画だと言って、今すぐに役立つものがない計画であるならば、決して実現することはありません。すぐに止めた方が良いと思います。
それを目指そうとしても、砂上の楼閣に終わり、「信頼」を損なうでしょう。
自分たちの小さな訓練の積み重ねに対する自信があったからこそ「信じろ」と言われて、自分の努力と技術レベルと一緒に汗を流してきた仲間を「信じる」ことが出来たのであって、訓練の積み重ねがなかったならば「信じる」ことは出来なかったでしょう。依るべき根拠のない「根性論」は役に立たないのです。
小さな積み重ねの将来にこそ、大きな意識の変革が存在します。その将来を考えているかいないか、見えているか見えていないか、それが現実になって現れます。